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社説・コラム

『潮流』 折り鶴の記憶

■化部長・渡辺拓道

 夏が巡り来ると30年ほど前の、ほろ苦い記憶がよみがえる。広島市平和記念公園の原爆の子の像に寄せられた、折り鶴の行方を取材した時のことだ。

 入社2年目で事件取材を担当していた。ある情報を聞いた。「たまって困る折り鶴は、夜中に焼いとるんで」。先輩記者も新聞に載ったことはないのではという。「人知れず灰にするのは、平和を願って丹精を込めた気持ちを裏切っている」

 蒸し暑い夜。小柄な初老の男性は板囲い付きの小さなリヤカーを引いていた。公園内にあったブロック積み焼却炉の前で、色鮮やかな折り鶴の束が荷台に見えた。中国新聞記者と名乗り、記事にしたいと告げた。

 男性は少し困った表情を見せながら、淡々と答えた。「誰かがやらないといけんのよ。今はこれしかやりようがない。焼いていると分かると子どもたちが悲しむ」。広島折鶴の会世話人で、2001年に亡くなった河本一郎さんだった。広島市と協力した焼却処分の実情を誠実に語ってくれた。原爆の子の像の誕生に深く関わり、像の世話を続けた人ならではの重みと、すごみがあった。

 子どもたちの気持ちを思うと記事にできなかった。大きなニュースだと前のめりだった自分も反省した。その数年後、関係者から折り鶴の再生・活用を期待する声が上がる。一度は長期保存を決めた市は12年、条件付きで無料配布を始めた。河本さんは生前、「死没者にささげられた時点で役目を終えている」と再利用には消極的だったという。

 今、折り鶴は多くの商品に再生されている。広島市教委は来春の全ての卒業、卒園証書に再生紙を使うと決めた。対象は2万3千人余り。平和を思う子どもたちに優しい視線を送り続けた河本さん。式で手にする子どもたちの姿を、きっと笑顔で見守ってくれる気がする。

(2015年7月30日朝刊掲載)

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