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社説・コラム

『記者縦横』 証言への熱意伝えたい

■三次支局・城戸良彰

 先日、休みを利用して原爆資料館(広島市中区)へ足を運んだ。中学生の時、福山から社会見学で訪れて以来、十数年ぶりだ。ちぎれた服、炭になった弁当…。展示品が犠牲者の苦しみを語りかけてくるようで背筋の伸びる思いがした。

 ことしは被爆70年ということもあり、関連の取材をする機会が増えた。献花用の菊を作り続ける農家や、移設された被爆門柱の歴史を伝える住民。広島市内から60キロ以上離れた広島県北の地でも、平和を願う気持ちは変わらないと感じる。

 今月上旬、三次市三良坂町に住む被爆者の半田孝江さん(89)が同市内の中学校で体験を語った。広島に投下された原爆「リトルボーイ」の原寸大平面図や、原爆の爆発時の高度や温度を記した図などを示して「核のない平和な社会にしなければいけない」と訴えた。

 小中学校の養護教諭だった半田さんは、退職直前の1984年に体験を語り始めた。活動を続ける中で「当時の惨状を子どもたちに伝えるのに言葉だけでは難しい」と感じ、5年前から資料を手作りしている。

 被爆直後、血まみれで火の中をさまよった末に半日ほど気絶していた半田さん。記憶にあいまいな部分も多く、原爆資料館から冊子などを持ち帰って参考にした。「大したもんは作っとらん」と謙遜するが、分かりやすく伝えようという熱意には頭が下がる。

 被爆当時の体験を語れる人は少なくなった。それでも多くの人が、記憶を風化させまいと工夫を重ねる。こうした思いを正面から受け止め、伝えていきたい。

(2015年7月31日朝刊掲載)

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