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連載・特集

ヒロシマ70年 第2部 私も「ヒバクシャ」 <5> 被爆2世医師・檜山桂子さん=広島市南区

放射線被害 警鐘に力

 午前の外来診療を終えた昼下がりに、入院患者を回診するのが日課だ。今は10人のうち4人が被爆者。「先生のおじいさんにも、ようしてもらいました」。そんな言葉を掛けられると、自然に顔がほころぶ。広島市南区翠にある内科医院の院長、檜山桂子さん(57)は母親が救護被爆した被爆2世。一家は代々、ここで被爆者を診てきた。

 初代院長だった祖父は自ら被爆しながら、詰め掛けた人々を治療したという。入院病棟を設けて地元の被爆者とも向き合ったのが父親の福原有光さん(2010年に81歳で死去)。その背中を見て女医を志した。優しかった母方の大叔父にも憧れた。ケロイドなど後遺症の治療、研究に心血を注いだ原田東岷さん(1999年に87歳で死去)だ。

遺伝的影響探る

 市医師会の「ヒロシマ被爆二世医師会議」運営委員長でもある。「被爆者に安心を届け、次代へは核戦争の警鐘を鳴らすのが私たちの役目」。そう言い切る。

 母親はあの日を語ろうとせず、檜山さん自身も大病をしたことはない。被爆者の心身をさいなむ放射線に向き合ったのは医師になってからだ。駆け出しの頃、勤めた先が放射線影響研究所(南区)。被爆2世への遺伝的影響を調べる部門に配属された。DNAを傷つけ、人体に影響を及ぼし続ける放射線の本質をより深く知るにつれ「不安が芽生えた」。

 被爆者と配偶者、その子どもから採血し、放射線の影響を受けていない家族と遺伝子レベルで比べる研究を続けた。これまでに、親の被爆と子の健康に因果関係は見つかっていない。安堵(あんど)を覚える半面、こうも思う。「桁違いの遺伝情報が解析できるようになり、本当の結論が出るのはこれから。次世代を放射線から守るためにも、私たちは遺伝的影響の解明に力を尽くさないと」

 広島大病院(南区)を経て、同大原爆放射線医科学研究所にも勤務した。父の急逝で開業医に転身してからも、放射線医療への関心を持ち続けてきた。

平和運動に共感

 4年前。福島第1原発事故から市内の実家へ逃れてきた女性が幼子を連れて医院を訪ねてきた。被曝(ひばく)の影響におびえ、「直ちに健康への影響はありません」と繰り返す政府や専門家の言葉に不安を感じていた。話を聞き、専門医を紹介したが「被爆地の医師を頼りに逃れてきた被災者は多い。でも、正しい知識と共感の姿勢を備えた開業医がどれだけいるか」との思いが募った。

 13年に被爆二世医師会議が発足すると、広島大大学院に直談判し、14年6月から放射線医学の講義の参加枠をもらった。既に市医師会の延べ89人が受講した。この2日には国内外の被爆者を西区の会館に招き、若者向けの講演会を開く。被爆関連書籍をDVD化し、英訳も進める。

 「東岷おじさん」は被爆者に寄り添いながら、米国人活動家の故バーバラ・レイノルズと共に平和運動にも尽くし、彼女が唱えた「私もまたヒバクシャです」の理念を体現した。檜山さんもその姿勢に共感する。「次の核戦争を防がないと地球が終わる。一人一人が動かないと」。放射線被害の実態を次代へ、世界へ、医師として伝える―。苦難の70年を歩んだ先人たちから託されたバトンを持って、走っている。(田中美千子)=おわり

(2015年8月1日朝刊掲載)

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