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社説・コラム

天風録 「「玉音放送」以後」

 「なして、もっと早う言うてくれん」。作家林京子は自伝的小説「祭りの場」に記す。長崎で原爆に遭い終戦を迎えた。ラジオで聞いたかどうかは不明だが、玉音放送の感想はこれだけだ▲広島の被爆作家、大田洋子は「重大放送」があると知った。「まさか止めるというのではないでしょうね」「ソ連と断然戦うと云っていたものね」。死におびえながら書いた小説「屍(しかばね)の街」に、妹とのやりとりがある▲その日、昭和天皇が終戦を告げる詔書が電波に乗った。雑音でよく聞き取れなかった、といった証言も聞く。きょう公開された原盤レコードの音声に接し、万感胸に迫る人は多かろう▲だが新たな苦しみが二つの作品には潜む。「華やかな黒髪であるべき少女たちの頭は、まるで尼さまだ」と林は後遺症とおぼしき学友を描く。大田は「戦争が終ってのちに、なお空襲の傷で死なねばならぬ」と憤った▲「被爆者のシノビガタキはいつ消える」。和田たかみという人が、1980年代の川柳誌に寄せた。詔書の一節にある「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」と重ねたのだろう。被爆者のシノビガタキは今は癒えたか。タエガタキことが新たに生まれていやしないか。

(2015年8月1日朝刊掲載)

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