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顔の傷 あの日刻む証し 千葉の吉井さん 被爆66年目 心に整理

 手術を繰り返しても顔の傷痕は消えなかった。「あの日」の記憶のように。千葉県の遺族代表吉井潤子さん(72)は6日、初めて平和記念式典に参列。家族を失った悲しい過去を刻む顔の傷痕をさすり「死ぬまで背負わなきゃね」と笑顔を見せた。

 6歳だった吉井さんは、爆心地から約1・7キロの白島九軒町(中区)の自宅で被爆。木造2階建ての家は一瞬で崩れ、ガラス片が顔や腕に降りかかった。父と兄、姉がその日に亡くなり、1カ月後に弟も失った。

 吉井さんは母とともに助かったが、口元から頬にかけて約17センチもの痕が残った。「まだ若いころでしょ。人前に出るのが嫌でね」。必死に化粧でごまかしたという。

 1966年に仕事で上京。夫紹泰さん(69)と結婚前、広島と東京で形成外科手術を受けたが完全には消えなかった。「気にならないよ」。紹泰さんの言葉がうれしかった。

 その後は夫と必死に生きてきた。「あの日」の記憶も顔の傷痕のように忘れておきたかった。生き残った母も93年に亡くなり、ようやく式典に出向く心の整理がついた。

 66年目に初めて近づいた献花台。亡き肉親にそっと語り掛けた。「今を精いっぱい生きないとね。今、ヒロシマは平和に包まれていますよ」(胡子洋)

(2011年8月7日朝刊掲載)

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