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被爆66年 新聞投稿 父の足跡つながる 水戸の大曽根さん

 被爆体験を語らないまま逝った父。忘れ去られようとした歴史は新聞の投稿欄が取り持つ縁で息子に伝えられた。水戸市の心身障害者福祉施設長大曽根邦彦さん(52)は6日、初めて訪れた平和記念式典の会場で、父の足跡探しに協力してくれた和田恵美子さん(80)=広島市安佐北区=の手を取り、頭を下げた。

 大曽根さんの父哲三さんは1979年に胃がんで死去。被爆を含め戦時中のことは何も語らなかった。父の記憶は忘れ去られていくはずだったが、昨夏、戦争に関心を持った長男の直登君(9)から「おじいちゃんは何をしていたの」と聞かれ風向きが変わった。

 ほとんど手掛かりはなかったが投稿した中国新聞を見て和田さんが連絡をくれた。情報交換を進めるうちに父の仲間も見つかった。陸軍衛生兵の父は原爆投下の翌日に福山市から広島市に入り、南区で救護業務に当たっていたことが分かった。

 大曽根さんは直登君たちを連れ、式典前の会場で和田さんと初めて会ってお礼を述べた。「過去を語らずに逝ったのは父の忘れもの。真剣に探してもらい本当にありがたかった」と感謝していた。(和田木健史)

(2011年8月7日朝刊掲載)

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