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被爆66年 語り合う痛み 避難者を思い支援 被爆者・佐久間さん

 あの日から66年。被爆者佐久間邦彦さん(66)=広島市西区=は福島からの避難者とともに、原爆の投下目標となった相生橋に立った。「自分にできることは、被爆体験を踏まえ寄り添うこと」。フクシマにヒロシマができることを模索している。

 「放射線への不安を分かってくれる人がいるのはありがたい」。福島県川内村の大塚尚幹さん(39)。妻愛さん(37)の郷里岡山市で長男(6)、長女(2)と避難生活を送る。

 この日、脱原発の行事に参加するため家族で広島を訪れた大塚さん一家。避難者の紹介で知り合った佐久間さんに、愛さんは「いままで広島のことを知ってはいたが、原発事故が起きて真剣に放射線のことを考えるようになった」と明かした。

 佐久間さんは、広島県被団協(金子一士理事長)で2006年から被爆者相談に従事している。原発事故に衝撃を受けて以来、福島の避難者の支援と交流に力を入れてきた。

 自身は爆心地から2・5キロ離れた己斐西中町(西区己斐西町)で被爆。母の背中で黒い雨を浴びた。生後9カ月だった。それだけに放射線の感受性が強い子どもを持つ福島の親たちの苦悩をひとごとと思えない。

 放射線に関する悩みを聞き、原爆症認定訴訟などで明らかになってきた人体への影響を解説している。「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の招きで7月下旬、現地入りもした。

 最後には優しく語り掛ける。「私も被爆の後障害に不安を持ちながらも、前向きに生きてきたんだよ」

 それが医師やカウンセラーではなく、被爆者にできることだと信じる。(金崎由美)

(2011年8月7日朝刊掲載)

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