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[戦後70年 継承しまね] シベリア抑留語り継いで 浜田の上野さん講演 

泥水飲み下痢/夕食食べられたことも

 太平洋戦争後、シベリア抑留を体験した上野隆弘さん(90)=浜田市治和町=が1日、同市黒川町の市浜田郷土資料館で、当時の「衣食住」をテーマに講演した。抑留を次世代に語り継いでもらおうと、集まった同館友の会の会員ら約20人に過酷な3年間を語った。(森田晃司)

 上野さんは1944年10月、旧満州(中国東北部)の陸軍の連隊に通信兵として配属。終戦後、シベリアの5カ所の収容所を転々とし、森林伐採やジャガイモ栽培に従事した。48年5月、浜田市に帰った。

 最初の収容所は2重の柵に囲まれた掘っ立て小屋。水不足で雪を溶かして飲んだが、雪を求めて柵外に出た仲間が射殺されたという。草刈り場では土にたまった泥水しかなく「そろっとすくい、上の方だけ飲んだが下痢になった」と明かした。

 食糧事情も厳しく、配給の米に小豆が交ぜてあったり、塩の配給が1週間滞ったりした。最後の収容所では、仕事のノルマを早く達成して収容所に戻った仲間に夕食を食べられたことも。「生きるためなら、人間変われば変わるものだと悲しくなった」と回顧した。

 防寒着の配給は十分だったが「苦労したのはトイレ」と上野さん。移動の貨車ではストーブの脇にあり、見られながら用を足した。収容所では穴を掘り板を通したトイレが屋外にあり、見張りの許可が必要だった。

 「列車で浜田に到着すると、ああ古里だと涙があふれ出た」と締めくくった上野さん。「元気なうちに体験を若い世代にもっと話したい」と力を込めた。

(2015年8月2日朝刊掲載)

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