×

社説・コラム

社説 被爆70年 先細る組織 支える仕組み考えよう

 全国的に活動の先細りが浮き彫りになったといえよう。中国新聞社が全国の被爆者団体へのアンケートで「あと何年活動できるか」を尋ねたところ、多くの団体が「数年」「不明」と答えている。

 これからの10年を見通すことさえ難しくなった団体がいかに多いことか。このままならどうなるのか、危惧を覚える。

 被爆者の平均年齢は80歳を超えている。どの団体にも、高齢化の壁が立ちはだかる。石川県原爆被災者友の会は「高齢や病気のため動ける人がほとんどいない」との回答を寄せ、活動が本年度限りとなるかもしれない窮状を明かしている。

 被爆者がいなくなれば解散・消滅させる―。そう答えたのは都道府県の12団体と中国5県内の地域組織31団体で、回答した121団体の35%に上る。足元の広島県内も例外ではない。福山市原爆被害者の会はこの春解散を決め、被爆2世を中心にした新団体を発足させた。

 ただ、多くは引き継ぐ相手がなかなか見つからないようだ。神奈川原爆被災者の会は「組織運営に専念できる人を探すのが難しい。2世に引き継ぐにも先行き不透明」と困り果てる。

 こうした状況を何もせず、見過ごすことはできまい。全国の被爆者たちが援護策の充実と体験の継承に力を尽くしてくれた歴史を思い起こしたい。

 70年前に広島や長崎で被爆した人たちが全国に散らばった。広島でいえば、陸軍船舶司令部などの諸部隊に所属して救援活動に当たり、古里に復員した軍人・軍属も少なくない。

 偏見や差別にさらされながらも、仲間に必要な支援が得られるようにと駆けずり、核兵器廃絶を訴えてきたのが各地の被爆者団体にほかならない。被爆地から遠いほど、困難さが伴うこともあっただろう。

 本紙の調査によれば、それぞれの団体がこの10年に力を入れてきた活動として最も多かったのは、学校や地域での被爆体験の証言だった。老いてなお、「伝える」使命を懸命に果たそうとしてきたといえる。

 会員が4人しかいない、山形県鶴岡市のつるおか被爆者の会もその一つだ。85歳の三浦恒祺会長は「命が続く限り」と証言を続ける。同じ目に遭う人を二度と出したくないとの思いがあるからに違いない。

 そうした志と活動が引き継がれることなく、このまま消え去っていいはずがない。被爆者団体の運営を支える仕組みづくりを、あらためて真剣に考えるべきときではないか。

 厚生労働省は被爆者援護施策の一環として記憶の継承にも予算を付けるという。ならば各地の団体の証言活動などを支えてはどうだろう。むろんお金だけで解決するものではないが、活動存続への一定の後押しになるはずだ。広島県、広島市なども国に働き掛けてはどうか。

 現役世代の被爆2世や3世にバトンをどう引き継ぐかは、より重い課題だ。今のうちに家族の間で記憶を伝え、活動の芽を育てたい。もちろん市民ボランティアを含めた、より幅広い連携も模索すべきだろう。

 あの日の体験を胸に、地道な活動を続けてきた人たちの思いをどうつなぐのか。被爆70年の厳しい現実から目をそらさず、あすへの一歩を探りたい。

(2015年8月3日朝刊掲載)

年別アーカイブ