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社説・コラム

社説 被爆70年 継承策 発信力を強める工夫を

 被爆70年は、体験と平和への思いを次代へ引き継ぐことができるかどうかの重要な岐路でもあろう。被爆者の高齢化で、元気に証言できる人はどんどん減っていく。世界の核状況が予断を許さない中、核兵器がもたらす被害を発信する重要性を胸に刻み直したい。

 広島市も当然、危機感を強めている。被爆者の証言を語り継ぐ人材として「被爆体験伝承者」の1期生50人を育成し、ことしから活動を開始したのも、その表れだろう。

 継承の新たなアイデアとして注目を集める伝承者の研修期間は3年にわたる。1年目には原爆被害の実態を学び、2年目に体験を引き継ぐ被爆者を決め、3年目からその被爆者から助言を受けながら実習を重ねる。ゆくゆくは本人に代わって、修学旅行生や国内外の観光客らに証言する役割を担う。

 市の呼び掛けに応え、使命感あふれる人たちが各地から集まったのは間違いない。東京から通って研修を積んだ人もいる。被爆者ではないのに証言する重圧は相当なものだろう。

 ある伝承者による「講話」を聞いてみると「二度と戦争を起こしてはならない、という被爆者の思いを伝えたい」との言葉に心動かされた。被爆者の思いをしっかり継いでいくことを願ってやまない。

 同時に、あの壮絶な体験をどこまで引き継げるかに「限界」があるのも確かだ。例えば肉親を原爆で奪われた悲しみは、現実問題として被爆者の言葉をなぞるだけではなかなか表現しづらい面もあろう。ただ、こうした切なる記憶が被爆地で全く語られなくなるとすれば残念である。若い世代が工夫を重ねることで継承のスタイルを模索する意味は大きいはずだ。

 むろん広島市にとっての継承策はこれだけではない。何より核兵器の非人道性を語らしめる現物資料の役割がさらに重くなることも肝に銘じてほしい。

 原爆資料館は今月で開館60年を迎える。現在、改修が進み2018年春の全面オープンを予定している。約2万点の資料を収蔵する。しかし常時展示できたのは2%ほど。改修後は実物資料の展示を広げ、破壊されたれんが壁や亡くなった人が着ていた衣服、写真などを組み合わせて展示する手法も導入する。コンピューターグラフィックスで市街地の被爆前と後とを再現する試みも予定している。

 ただ学生帽や血で染まったリボンなど、一つ一つの被爆資料に想像力を働かせるのは若い世代にはますます難しくなろう。だからこそ特に被爆死した人たちの遺品については背景にある物語に、これまで以上に光を当ててもらいたい。

 長年、肉親の形見として手元に取っておいたものを寄贈したケースもある。こうした資料にまつわる記憶はこれまでも記録されているが、展示に生かし切れているのはごく一部だろう。現物資料とともに伝える営みがもっと充実すれば、資料館としての発信力は増していく。

 資料館のボランティアガイドの研修をいっそう充実させることも必要だ。逃げ惑う被爆者の姿や叫び声など、現物資料では伝え切れない要素もある。ニーズに応じ、そうした説明や幅広い質問にも対応できる態勢をできる限り整えてほしい。

(2015年8月4日朝刊掲載)

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