ピースナイター2015 被爆70年 8月5日 マツダスタジアムでピースナイター
15年8月4日
核兵器廃絶を球場全体で訴える「ピースナイター2015」が5日、マツダスタジアム(広島市南区)で開かれる。広島東洋カープ-阪神戦で始球式を務めるのは広島の被爆2世で、世界的に活躍するプリマバレリーナ森下洋子さん(66)=同市中区出身。被爆70年の夏、平和への祈りと、古里広島への感謝の思いを胸にマウンドに立つ。(山本和明)
―原爆投下から3年後に生まれました。
母と祖母が被爆しました。祖母は左半身に大やけどをし、左手の指はくっついていて…。すさまじい苦しみがあったと思うけれど何一つ愚痴を言わず、いつも明るい人でした。生きていられることへの感謝と喜びを背中で見せてくれた。何があっても続けていけばできる、つらいと思う前にまずやってみる―。そんなことを教えられました。
―被爆70年を迎えます。
人類にとって、あってはならないことが広島と長崎で起きた。被爆された方は年を重ね、亡くなる人も増えています。原爆については皆が知っておくべきで、生まれてくる子どもたちにも伝え続けていかねばなりません。人と人が争うのはやめましょう。唯一の戦争被爆国だからこそ声を大きくして言えるし、言うべきです。
―舞台に立つ上で心掛けていることは何ですか。
どこの国に行っても、ヒロシマはよく知られています。「家族は大丈夫だったの」と尋ねてくれる人もいる。世界中の人が平和を望んでいると実感します。私たちは舞台の上で夢や希望、ロマン、人への思いやりの大切さを表現している。そして何より大事なのは平和を祈ること。そのために体を毎日鍛え、どんなことにも喜びを持って挑戦しています。
―カープの思い出は。
広島の人間ですから大ファンですよ。小学生の頃、昔の広島市民球場によく行きました。ナイターの明かりはとてもきれいだった。1975年の初優勝は、弱かった時代を知っているだけに大喜びしたのを覚えています。その後は「投手王国」となり、試合でカープが1点リードしたら「今日は勝つね」と安心して見ていました。当日は選手の皆さんにお会いし、頑張ってと声を掛けたいです。今季はぜひ優勝してほしいなあ。
―始球式ではどんな思いを込めて投げますか。
世界中でバレエを踊り、いろいろな賞をいただきました。帰郷すると、いつも皆さんが「お帰りなさい」と声を掛けてくれる。これまで支えてくれたことに感謝し、お返しを少しでもできたらいい。カープは広島県民の大きな励み。私も平和を祈りながら踊り続け、広島の皆さんの励みになりたいと思っています。マツダスタジアムに行くのは初めて。とても楽しみにしています。
もりした・ようこ
1948年、広島市中区生まれ。3歳でバレエを始めて小学6年で上京。71年に松山バレエ団に入り、バルナ国際バレエコンクール金賞、英ローレンス・オリビエ賞を受賞するなど、世界で活躍。97年には女性最年少の文化功労者に選ばれた。広島県民栄誉賞のほか、2012年には中国文化賞、世界文化賞を受けた。広島市名誉市民。現在は松山バレエ団団長。
[ピースナイター]
ピースナイターは、プロ野球を通じて核兵器廃絶や平和の願いを発信する。「平和だからこそスポーツが楽しめる」。感謝と祈りを継承するために、2008年から、8月6日に近いホームゲームの日に行っている。
五回終了時、ジョン・レノンの曲「イマジン」に合わせ、観客が緑と赤のピースナイター新聞を掲げる。原爆ドームの高さ25メートルで「ピースライン」が浮かび上がり、平和を祈る。選手は、袖にピースワッペンを着けてプレー。これまで、11年に漫画「はだしのゲン」の作者・故中沢啓治さん、12年は被爆者で野球解説者の張本勲さん、13年には被爆2世でミュージシャンの吉川晃司さん、14年は戦後のカープを支えた、野球解説者の山本一義さんが始球式を務めた。
広島東洋カープ、生協ひろしま、広島平和文化センター、広島電鉄、中国放送、中国新聞社の主催。平和であることの尊さを伝え続けていく。
[生協の取り組み]
原爆の惨状と平和の大切さを継承する「ピースアクションinヒロシマ」(日本生活協同組合連合会、広島県生活協同組合連合会主催)が4~6日、広島市内で開かれる。毎年、全国の組合員が集まり、被爆者の証言を聞き、碑巡りなどをしている。メーン企画「虹のひろば」は5日午後1時10分、広島グリーンアリーナで開かれ、平和に関する話や生協の活動報告がある。誰でも無料で参加でき、平和の思いをつなぐ場となっている。
被爆70年のことし、5日に初めて「子ども平和会議」を開く。全国から約50人が集まり、事前に調べた核兵器の脅威や被爆者の声を基に、「核兵器や戦争など争いごとをなくすために私たちができること」についてグループで意見を交わす。そこでまとめたことは、虹のひろばのステージで発表する。
広島からは、小学5年生~高校2年生の12人が参加。7月4日は4回目の事前学習として、被爆者江種祐司さん(87)から証言を聞いた。学徒動員中だった17歳の江種さんは、爆心地から約6キロ離れた金輪島(現南区)で被爆。救護のために市街地に向かった際のことを「眼球がつぶされて血まみれの人、皮膚がたれ下がった人がうごめいていた。水をくれと真っ黒い手に足首をつかまれ、払いのけて狂ったように歩いた」と苦しそうに語った。
「再び核兵器を使えば人類は全滅する。核兵器を一発も置いてはいけないというヒロシマの心を広めてほしい」との訴えに、高校2年安原悠衣さん(16)は「江種さんの体験を自分に置き換えて聞いた。平和会議などいろんな場で伝えていきたい」と話していた。
虹のひろばでは、被爆者の講演や舟入高の演劇のほか、今春、米ニューヨークであった核拡散防止条約(NPT)再検討会議の報告や原爆の絵を展示するコーナーもある。広島県生協連合会は今後も、平和な社会の実現を願い、取り組みを続けていく。
全国の野球ファンと思い共有 生活協同組合ひろしま 横山弘成専務理事
ことしで8回目を迎えるピースナイターですが、被爆70年という節目の年でもあり、今まで以上に多くの方々からの核兵器廃絶の思いを受けての開催となりました。ことしのピースナイターには広島市の名誉市民でもあるバレリーナの森下洋子さんが始球式に登場されます。森下さんの平和への熱い思いとともに、マツダスタジアムに来場された皆さんだけでなく、全国の野球ファンの皆さんとも核兵器廃絶と世界平和への思いを共有できたらと思っています。
企画・制作 中国新聞社事業情報センター
(2015年8月4日朝刊掲載)
平和への祈り 何より大事
世界で活躍するプリマバレリーナ 森下洋子さんが始球式
―原爆投下から3年後に生まれました。
母と祖母が被爆しました。祖母は左半身に大やけどをし、左手の指はくっついていて…。すさまじい苦しみがあったと思うけれど何一つ愚痴を言わず、いつも明るい人でした。生きていられることへの感謝と喜びを背中で見せてくれた。何があっても続けていけばできる、つらいと思う前にまずやってみる―。そんなことを教えられました。
―被爆70年を迎えます。
人類にとって、あってはならないことが広島と長崎で起きた。被爆された方は年を重ね、亡くなる人も増えています。原爆については皆が知っておくべきで、生まれてくる子どもたちにも伝え続けていかねばなりません。人と人が争うのはやめましょう。唯一の戦争被爆国だからこそ声を大きくして言えるし、言うべきです。
―舞台に立つ上で心掛けていることは何ですか。
どこの国に行っても、ヒロシマはよく知られています。「家族は大丈夫だったの」と尋ねてくれる人もいる。世界中の人が平和を望んでいると実感します。私たちは舞台の上で夢や希望、ロマン、人への思いやりの大切さを表現している。そして何より大事なのは平和を祈ること。そのために体を毎日鍛え、どんなことにも喜びを持って挑戦しています。
―カープの思い出は。
広島の人間ですから大ファンですよ。小学生の頃、昔の広島市民球場によく行きました。ナイターの明かりはとてもきれいだった。1975年の初優勝は、弱かった時代を知っているだけに大喜びしたのを覚えています。その後は「投手王国」となり、試合でカープが1点リードしたら「今日は勝つね」と安心して見ていました。当日は選手の皆さんにお会いし、頑張ってと声を掛けたいです。今季はぜひ優勝してほしいなあ。
―始球式ではどんな思いを込めて投げますか。
世界中でバレエを踊り、いろいろな賞をいただきました。帰郷すると、いつも皆さんが「お帰りなさい」と声を掛けてくれる。これまで支えてくれたことに感謝し、お返しを少しでもできたらいい。カープは広島県民の大きな励み。私も平和を祈りながら踊り続け、広島の皆さんの励みになりたいと思っています。マツダスタジアムに行くのは初めて。とても楽しみにしています。
もりした・ようこ
1948年、広島市中区生まれ。3歳でバレエを始めて小学6年で上京。71年に松山バレエ団に入り、バルナ国際バレエコンクール金賞、英ローレンス・オリビエ賞を受賞するなど、世界で活躍。97年には女性最年少の文化功労者に選ばれた。広島県民栄誉賞のほか、2012年には中国文化賞、世界文化賞を受けた。広島市名誉市民。現在は松山バレエ団団長。
[ピースナイター]
野球通じ平和・核兵器廃絶 発信
ピースナイターは、プロ野球を通じて核兵器廃絶や平和の願いを発信する。「平和だからこそスポーツが楽しめる」。感謝と祈りを継承するために、2008年から、8月6日に近いホームゲームの日に行っている。
五回終了時、ジョン・レノンの曲「イマジン」に合わせ、観客が緑と赤のピースナイター新聞を掲げる。原爆ドームの高さ25メートルで「ピースライン」が浮かび上がり、平和を祈る。選手は、袖にピースワッペンを着けてプレー。これまで、11年に漫画「はだしのゲン」の作者・故中沢啓治さん、12年は被爆者で野球解説者の張本勲さん、13年には被爆2世でミュージシャンの吉川晃司さん、14年は戦後のカープを支えた、野球解説者の山本一義さんが始球式を務めた。
広島東洋カープ、生協ひろしま、広島平和文化センター、広島電鉄、中国放送、中国新聞社の主催。平和であることの尊さを伝え続けていく。
[生協の取り組み]
ピースアクション 参加者募る 広島で4~6日
原爆の惨状と平和の大切さを継承する「ピースアクションinヒロシマ」(日本生活協同組合連合会、広島県生活協同組合連合会主催)が4~6日、広島市内で開かれる。毎年、全国の組合員が集まり、被爆者の証言を聞き、碑巡りなどをしている。メーン企画「虹のひろば」は5日午後1時10分、広島グリーンアリーナで開かれ、平和に関する話や生協の活動報告がある。誰でも無料で参加でき、平和の思いをつなぐ場となっている。
被爆70年のことし、5日に初めて「子ども平和会議」を開く。全国から約50人が集まり、事前に調べた核兵器の脅威や被爆者の声を基に、「核兵器や戦争など争いごとをなくすために私たちができること」についてグループで意見を交わす。そこでまとめたことは、虹のひろばのステージで発表する。
広島からは、小学5年生~高校2年生の12人が参加。7月4日は4回目の事前学習として、被爆者江種祐司さん(87)から証言を聞いた。学徒動員中だった17歳の江種さんは、爆心地から約6キロ離れた金輪島(現南区)で被爆。救護のために市街地に向かった際のことを「眼球がつぶされて血まみれの人、皮膚がたれ下がった人がうごめいていた。水をくれと真っ黒い手に足首をつかまれ、払いのけて狂ったように歩いた」と苦しそうに語った。
「再び核兵器を使えば人類は全滅する。核兵器を一発も置いてはいけないというヒロシマの心を広めてほしい」との訴えに、高校2年安原悠衣さん(16)は「江種さんの体験を自分に置き換えて聞いた。平和会議などいろんな場で伝えていきたい」と話していた。
虹のひろばでは、被爆者の講演や舟入高の演劇のほか、今春、米ニューヨークであった核拡散防止条約(NPT)再検討会議の報告や原爆の絵を展示するコーナーもある。広島県生協連合会は今後も、平和な社会の実現を願い、取り組みを続けていく。
全国の野球ファンと思い共有 生活協同組合ひろしま 横山弘成専務理事
ことしで8回目を迎えるピースナイターですが、被爆70年という節目の年でもあり、今まで以上に多くの方々からの核兵器廃絶の思いを受けての開催となりました。ことしのピースナイターには広島市の名誉市民でもあるバレリーナの森下洋子さんが始球式に登場されます。森下さんの平和への熱い思いとともに、マツダスタジアムに来場された皆さんだけでなく、全国の野球ファンの皆さんとも核兵器廃絶と世界平和への思いを共有できたらと思っています。
企画・制作 中国新聞社事業情報センター
(2015年8月4日朝刊掲載)