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連載・特集

被爆70年 思い伝えたい <1> 県原爆被爆者会会長・土屋圭示さん=笠岡市

米での証言活動 機運高める鍵

 広島に原爆が投下されて70年がたつ。被爆直後の惨状を知る人は高齢化し、核の恐ろしさ、悲惨さの記憶は薄れつつある。岡山に暮らす被爆者が体験を振り返り、核兵器廃絶への思いを訴える。

 「あの日」から70年たったが、核兵器はなくなっていない。がれきの中で聞こえた「兵隊さん、水をくださーい」と助けを呼ぶ人たちのうめき声は、今も脳裏から消えない。水を与えると、ほっとした表情をして息絶えた。ふらふらと歩く人たちの手の皮膚は垂れ下がり、太田川には多くの死体が浮いていた。毎年8月6日が近づくと、悲劇を繰り返してはいけないとの思いを強くする。

 原爆投下時は江田島の水上特攻基地で、白い閃光(せんこう)を見た。午後から海路で広島に入り、被災者の救出活動をして被爆。戦後は、広島大水畜産学部(現生物生産学部)を卒業し、岡山県内の公立中学に教員として勤務した。

 復員後は下痢が続いて髪の毛が抜けた。腸が弱くなり、2004年の夏、急性肝炎となった。冬には大腸のS字結腸がんで病巣の切除手術を受けた。助かった命は無駄にしたくない。核兵器廃絶の活動をライフワークの一つとして続けている。

 昨年7月、県原爆被爆者会会長に就任。ことし4月には米ニューヨークであった核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせて現地を訪れた。国連本部ロビーや中学校で手作りの紙芝居を使い証言活動をした。

 子どもたちは真剣なまなざしで話を聞いてくれた。「どれほど怖かったか」と質問もあり、原爆の怖さを理解してくれたと思う。5年前にも国連本部ロビーで証言活動をしたが、若者が「アメリカはこんなひどいことをしたのか。国に代わり謝りたい」と頭を下げた。NPTの会議で、国を代表する立場からは率直な意見交換が難しかったと思うが、個人同士は心を通じ合えると感じた。米国内で証言活動を活発にし、市民の関心と意識を高めれば、核兵器廃絶の機運は盛り上がると思う。

 県被爆者会で記念誌の作成を進め、笠岡市では証言記録のDVDを制作している。若者や子どもたちに見てもらい、世界平和を考えるきっかけにしてほしい。(谷本和久)

(2015年8月4日朝刊掲載)

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