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連載・特集

『生きて』 児童文学作家 那須正幹さん(1942年~) <13> 後進への期待

「自分の世界」 見つけて

  2007年、地方の作家としては初めて、日本児童文学者協会の会長に就任。5年間務めた
 前々会長の砂田弘さんが、がんになって会長を降りられた。その次の木暮正夫さんもがんを発病されて。急きょ、次を決めんにゃあいけんことに。で、砂田さんが電話してこられて「とにかく那須さんしかおらんから、やってくれんか」と頼まれた。僕は、それまで理事もやってない。大丈夫かなと思うたけど、協会の活性化になればと引き受けた。

 僕が会長になって提案したのは、もう一つの団体「日本児童文芸家協会」との合併。それまで、ほとんど交流がなかったのよ。児童書が売れなくなった時期じゃったからね。もういっぺん元気が出るように、一つにまとまった方がいいと思って。そしたら、内部で反発を受けた。結局、合併はいまだに実現してないけど、僕が言うてから、子どもの本のフェアを一緒にやったりと、交流が始まったからね。少しは役に立っとるんじゃないかな。

 会員も減ってきて、若い書き手が入会せずに高齢化しとる。今もそうじゃが、いかに若い人に入ってもらうかという課題もあったね。

  かつては後輩を厳しく鍛えたことも。同人誌「亜空間」(1981~99年)時代はとりわけ力を入れた
 作家になってしばらくして、児童文学作家の川村たかしさんから同人誌をやろうと誘われた。メンバーの半分はプロで、半分は新人。合評会では、川村さんが褒めて、僕はくさしあげる。そうすることで、結局は自分の書きたい物を書くしかないと気付く。ただ、うわさでは、僕に批評されると涙が出るほどだったとか。でも、これはと思う人は、出版社に紹介したりしよったけどねえ。

  現在は、ポプラズッコケ文学新人賞などの選考委員も務める
 最近の応募作は、オリジナリティーがなくなってきとるねえ。新人には、自分でしか書けない世界を見つけるぐらいの気概がほしい。それと、やっぱり、文学だけじゃなく、社会とか科学とか、いろんなことに興味を持って、他の分野にもアンテナを張った方がいい。情報が多いほど、作品の幅が広がり、中身が濃くなるから。

(2015年8月5日朝刊掲載)

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