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二つの「あの日」傷深く 広島市安佐北区の宮本さん 原爆で母・妹、土砂災害で夫失う 「子のために生きる」

 広島市安佐北区の宮本孝子さん(75)は原爆で母と妹を失い、広島土砂災害では夫を亡くした。忘れ得ぬ原爆の惨状、信じがたい夫の死。最愛の人と日常を奪った二つの「あの日」を前に悲しみを募らせる。(久保田剛)

 「妹は背中にたくさんのガラスが突き刺さり、黒いものを吐いて亡くなった。悪い空気を吸ったのだろう」。被爆した5歳の時の記憶は鮮明だ。

 宮本さんは、爆心地から1・3キロで被爆。家を出ようとした時、爆風に襲われたが、柱の陰にいて助かった。頭にけがをし、顔の左側は真っ赤に腫れた。姉にカミソリで切ってもらい、膿(うみ)を出すと何とか治まった。

 両腕の皮が垂れ下がりさまよう人々、黒焦げの遺体…。「あまりの風景に怖さを感じなかった。ただ目に焼き付いている。戦争も原爆もいけん」。家屋疎開に出ていた当時37歳の母の遺体は見つかっていない。

 戦後は3人の子を授かった。約50年間連れ添った夫敏治さん(74)との穏やかな日々は土石流に奪われた。2人は土砂と倒壊した家屋の下に埋まり、近所の人たちに助け出されたが3日後、敏治さんは体の圧迫によるクラッシュ症候群で亡くなった。「今でも帰ってくるような気がする」

 災害で左脚の膝から下を失った孝子さん。これからどう生きるか、気持ちの整理はつかない。ただ、2度も救われた命があり、助けてくれた人がいる。「子どものためにもきちんと生きよう」。言葉を絞り出した。

(2015年8月5日朝刊掲載)

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