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[戦後70年 継承しまね] 語り継ぐ惨状の記憶 原爆投下直後の広島で救護活動 松江の加藤さん 13年前から母校児童に

 原爆投下直後の広島市で看護師として救護に当たった松江市大垣町の加藤花子さん(89)が、13年前から母校の秋鹿小(同市岡本町)で被爆体験の証言を続けている。児童から送られた感想文を手に「子どもたちにしっかり語り継ぎたい」と願う。(西村萌)

 加藤さんは当時の秋鹿村尋常高等小学校を卒業した後、広島市南区の陸軍被服支廠(ししょう)の診療所へ。見習い看護師として働いた。出雲市の診療所に移った後、あの日の翌日、1945年8月7日朝、救援隊として広島入りした。

 被服支廠の倉庫に運ばれた負傷者に薬を塗り、寝る間もなく見回って歩いた。「うじが湧いて鼻がつんとする臭いを忘れられない」。収容者があふれ、息絶えた人はすぐに屋外で焼かれた。

 同年、松江市に戻り、翌年結婚した。広島での体験はずっと胸にしまったままだった。2002年、地元の公民館の勧めで初めて、児童たちに、あの日を語った。

 ことしも6月中旬、広島市への修学旅行を控えた6年生10人に証言。旅行前に届いた感想文には「本で読むより実感が湧いた」「亡くなった人を思いながら旅行する」「もっと深く勉強しないと」と感想がつづられていた。

 加藤さんは「惨状を見た私には、未来の平和を築く子どもたちに伝える役目がある。100歳まで長生きしないとね」とほほ笑んだ。

(2015年8月5日朝刊掲載)

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