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米で核の非人道性訴え 広島赤十字病院元院長の孫 竹内道さん 祖父の思い 継承を誓う

 広島に原爆を投下した核超大国の米国で、その非人道性を語り始めた女性がいる。広島市南区で育った竹内道さん(59)=米ニューヨーク。あの日、広島赤十字病院(現広島赤十字・原爆病院、中区)の院長だった故竹内釼(けん)さんの孫に当たる。「地道な訴えが変化を起こすと信じたい」。被爆70年の原爆の日を前に5日、祖父が奮闘した地で継承を誓った。(田中美千子)

 「重傷を負いながらも治療の指示を出していたらしい。使命感からでしょう」。竹内さんは、当時の面影を唯一残す旧病棟のモニュメントを見やった。

 祖父は福岡県柳川町(現柳川市)出身。東京帝国大を卒業後、外科の軍医となり、1939年に前身の旧日本赤十字社広島支部病院の初代院長に就いた。45年8月6日は院内で被爆。8カ所も骨折したらしい。今の南区で49年に開業するまで、病院の再建に尽力。74年に84歳で亡くなった。

 生前、家族に被爆体験を語ったことはなかった。母も入市被爆しているが、竹内さんは「被爆2世の自覚はなかった」。広島女学院高(中区)を卒業後、米国に留学。日系企業の海外進出を支える会社を設立し、米国生活は約40年に及ぶ。「米国人にとって核兵器は『あって当然』で、話題にもならない。正直、その雰囲気に染まっていた」

 転機は5年前。米国の高校生に証言する被爆者の通訳を頼まれた。企画した米国の反核団体「ヒバクシャ・ストーリーズ」を手伝ううち核兵器を脅威に感じるように。被爆2世としての証言も頼まれ、戸惑いながら祖父の歩みを調べた。

 被爆の翌46年8月、祖父は中国新聞社発行の「月刊中国」に寄稿していた。原爆が人体に及ぼす重大な影響を指摘。最後は自作の句で締めていた。「夏草や廃虚に立てば去り難(がた)し」。この句に打たれたという。「県外出身の祖父が広島にとどまった理由が見えた。何らかの形で、ヒロシマを支え続けたかったのでは」

 ことし4、5月に相次ぎ、ニューヨークの学校で祖父の話をした。熱心な視線に励まされる時もあれば、「核兵器廃絶は非現実的だ」とあっさり否定される時もある。「核爆発が起きれば誰もが犠牲者になる。人ごとではないと、伝え続ける」。今回の帰郷はヒバクシャ・ストーリーズの仲間が一緒だ。6日は広島女学院中・高を共に訪れ、後輩に思いを届ける。

(2015年8月6日朝刊掲載)

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