×

社説・コラム

『この人』 在米被爆者遺族として平和記念式典に参列する ニーナ・カデラさん

援護に力 父の遺志継ぐ

 米国で被爆者団体の会長を務め、援護向上に力を尽くした父、遠藤篤さんを昨年7月に84歳で亡くした。遺族として、広島市の平和記念式典に参列する。「被爆者はどこにいても被爆者」。その遺志を継ぐ決意をかみしめる一日になる。

 爆心地から1・3キロの西天満町(現西区)で被爆した父は足をけがし、急性症状にも苦しんだという。1953年に貿易会社のスタッフとして渡米。3年後に長女のニーナさんが生まれた。物心ついた頃の父は「バグ・ジュース(虫の搾り汁)」と敬遠されながらも、しょうゆセールスに奔走していた。「精力的だった。私にも被爆者の子という意識はなかった」

 しかし、原爆投下を「輝かしい歴史」として教える学校の授業に強い違和感を抱くように。「被害者のことを教えて」と父に問うも「ノー」と一言だけだった。手記を書いてくれたのは98年。少年の目に焼き付いた惨状に触れ「いかに思い出したくない体験だったか分かった」。

 父は2004年に会長就任後、来日しては在外被爆者の援護拡充を日本政府に要求した。12年3月には医療費の全額支給を求めて提訴。死後はニーナさんが継承したが6月、広島地裁は請求を退けた。「簡単ではない。でも全ての在外被爆者のため行動した父の思いをつなぎたい」と控訴審に備える。

 米空軍の軍人の次男(24)は「僕は原爆を生き抜いた祖父を誇りに思う」と語ってくれたという。救急救命士として勤めた後、ファイナンシャル・アドバイザーの事務所を経営している。サンフランシスコ郊外で夫と2人暮らし。(金崎由美)

(2015年8月6日朝刊掲載)

年別アーカイブ