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遺品 反戦の資料に 広島の阿部さん

書類や写真 市に寄贈へ

 終戦から15日で66年となる。広島市南区松原町のJR広島駅前で喫茶店「パール」を営む阿部久代さん(68)は、戦死した父と被爆死した兄をしのぶ。大切に保管してきた2人の遺品の「検視調書」などを後世に残したいと、市公文書館などに寄贈するつもりだ。

   阿部さんの父、原田正男さんは1944年、「南方海上」で戦死。30歳だった。兄豊正さんは45年9月、原爆から約1カ月後に4歳で亡くなった。一家が戦前から暮らす松原町一帯も焼け野原に。ただ、2人の写真や書類は、母の故シヅ子さんが戦後も傍らにしまっていたという。

 黄ばんだ1通の「功績上申ニ関スル件通牒(つうちょう)(通達)」。46年に広島市が、戦死した正男さんに宛てた。軍用電報紙の裏を使った書面で、軍の役職や経歴を尋ねている。封筒に「町内会長殿気付」とあり、町内会を通じて渡された形跡がうかがえる。兄豊正さんの「変死者検視調書」は、原爆後に身を寄せて亡くなった市内の住所のほか、死因を「戦災ニ依ル心臓病」と記す。

 終戦時に2歳で、父と兄の顔は写真でしか知らない阿部さん。原爆では、質店を営んでいたという祖父の久太郎さんも亡くした。

 母は、戦争で亡くした家族のことを口にしなかった。時折、「豊正はいい子で、久太郎さんが初孫としてかわいがった」と話した。戦後、母は再婚した一男さん=故人=と喫茶店を開業。57年には現店舗となり、駅前のにぎわいを支えた。

 家族と店を切り盛りしてきた阿部さんは「父や兄たち先祖のおかげで今がある。遺品が、戦争は絶対にいけないと語り継ぐ材料になれば」と話す。書類や写真を近くの愛友市場のホームページで公開し、市に寄贈しようと決めている。(赤江裕紀)

(2011年8月13日朝刊掲載)

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