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品格ある美文家悼む 阿川さん死去に中国地方関係者ら 優しい家庭人の面も

 戦争体験に基づき昭和史の深層に迫る小説を数多く生み出し、エッセーの名手としても知られた阿川弘之さんが、戦後70年の節目の夏に94歳で亡くなった。故郷広島の人々や、家庭人としての阿川さんの姿を知る人から、悼む声が相次いだ。

 中国放送(広島市中区)が2006~07年に放送したラジオ番組「阿川弘之 青春の記憶」で聞き手を務めた同社の仙田信吾常務(60)=佐伯区=は「メモも見ずマイクに向かう姿が印象的だった」と振り返る。

 東京帝大(現東京大)を繰り上げ卒業して入った海軍では中国戦線を経験し、1946年に復員。「焼け野原になった広島の光景と、助からないと思っていた両親との対面を『一生涯忘れられない』と話してくれた。品格のある語り口に『日本語をこれほど大切にしている人はいない』と感じた」

 旧制広島高(現広島大)の後輩で作家の小久保均さんは(85)=南区=は「美しい、魂のこもった文章を書く偉大な先輩。阿川さんという高い目標が自分の創作の原動力だった」と悼む。

 文芸春秋の元編集者で松江観光協会観光文化プロデューサーの高橋一清さん(71)=松江市=は、阿川さんと半世紀近い交流があった。同社に入社直後の67年4月、真っ先にあいさつに向かった先が阿川さんの自宅だった。

 エッセイストとして活躍する阿川佐和子さん(61)は長女。おてんばぶりに目を細め、健やかな成長を願う父親としての姿を高橋さんは記憶する。「瞬間湯沸かし器と評する人もいるけれど、猛烈な優しさゆえのかんしゃく玉だったのでは」と人柄を語る。

 広島県の名誉県民や広島市の名誉市民にもなった。大和ミュージアム(呉市)では05年のオープン時から名誉館長を務めた。同県の湯崎英彦知事は「文学への情熱、ふるさとへの思いは、末永く受け継がれていく」とコメント。広島市の松井一実市長も「激動の世に遭遇した人間の悲哀を浮き彫りにされた。広島市民の誇りだった」との談話を発表した。(石川昌義、石井雄一)

(2015年8月6日朝刊掲載)

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