×

社説・コラム

くずれぬへいわをかえせ 広島原爆の日

■編集局長・江種則貴

 あの閃光(せんこう)が忘れえようか/瞬時に街頭の三万は消え/圧(お)しつぶされた暗闇の底で/五万の悲鳴は絶え…(峠三吉「八月六日」)

 その場にいた誰もが決して忘れられない惨状から70年。きのう、広島市の平和記念式典で気になったのは、安倍晋三首相があいさつで「非核三原則の堅持」に触れなかったことだ。

 昨年は言及したのに、どうしてだろう。参院特別委で審議中の安全保障関連法案との関係かと勘繰りたくなる。中谷元・防衛相が5日、「核兵器の運搬も法文上は排除していない」と答弁したばかりだからだ。

 核ミサイルであれ核弾頭であれ、中谷氏によると「弾薬」扱いとなり、法案に「運搬できない」という条文はない。

 ちょっと待ってほしい。国際司法裁判所は1996年、核兵器の使用や威嚇は一般的に国際法に違反するとの勧告的意見を示した。核兵器が人道にもとることは日本政府も認めている。

 わが国が非人道兵器を運搬すれば、使用されないまでも敵国への威嚇となるのは明らかで、国際法違反を問われかねない。

 中谷氏は非核三原則などを理由に「(米軍などから)運搬要請があっても拒否する」と付け加えた。とはいえ、わが国の領空・領海以外なら、三原則の「持ち込ませず」には反しない。

 米国が差し掛ける「核の傘」の下に居ながら核兵器廃絶を説く被爆国の矛盾は、かねて指摘されてきた。加えて、米国と組んで集団的自衛権を行使する事態となれば、間接的であれ、被爆国が核戦争に関与する機会となりかねない。

 きのう安倍首相は、被爆者団体代表に対しては「非核三原則の堅持」を口にした。安保法案については「戦争を未然に防ぐためであり、国民の理解が進むよう努力する」と述べた。

 言葉を返して恐縮だが、ではこの国の政治家や官僚は、きのこ雲の下の地獄絵を深く理解してきたと胸を張れるのだろうか。そうならば、これほど抜け道のある法案とはなるまい。

 隣国の傍若無人ぶりは目に余る。抑止力が全く要らないと言いたいわけではない。だが、首脳同士の対話をはじめ、平和を築く方策はさまざまあるのに、なぜ安保法案ばかり急ぐのだろう。実質的に核戦争を防いできたヒロシマ・ナガサキの体験こそ、被爆国政府はもっと本腰を入れて継承・発信すべきではないか。そして政府はどうして、非核三原則の法制化、さらには核兵器禁止条約に冷淡なのか。

 峠三吉は絶唱した。

 …にんげんのよのあるかぎり/くずれぬへいわを/へいわをかえせ(「原爆詩集・序」)

 私たちの世代が平和憲法の理念を捨てた結果、後の世代から「平和を返せ」と指弾される。そうした未来を見たくはない。核のない世界へ、胸突き八丁の被爆70年である。

(2015年8月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ