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全国戦没者追悼式 ヒバク 伝える決意 中国地方から376人

 終戦の日の15日、東京都千代田区の日本武道館であった全国戦没者追悼式に、中国地方からは376人の遺族が参列した。愛する肉親を奪った戦争とその後の苦労…。66年の歳月にそれぞれの思いをめぐらせる中、未曽有の被害をもたらした東日本大震災と福島第1原発事故に心を痛める人もいた。 

 広島県代表として献花した小林保登さん(74)=神石高原町=は、父尚徳さんを東シナ海で亡くした。「父親がいないことで、寂しい思いをした。ことしの震災でも全てをなくした方は多い。気持ちはよく分かる」

 島根県代表の柄川覚(さとる)さん(80)=益田市=の父信市さんは、中国で戦死した。状況は何も分からず、戻ってきた遺骨は爪の先ほどの大きさだったという。「つらいことを経験したからこそ、今日の平和があると思う。でも、平和利用の原発がこんなことになるとは」と無念さを語る。

 山口県代表の野村孝征さん(66)。父孝志さんはフィリピンで亡くなった。孝征さんが生まれる直前だった。その後、母は他家に嫁ぎ、孝征さんは祖父母に育てられた。「10年余り前に母と再会できた。晩年は少し親孝行ができたので悔いはない」と言い切る。

 サイパンで父亀雄さんを亡くした鳥取県代表の森田智さん(69)=江府町=の場合、母が父の弟と再婚。しかし、義父と母は12年前から音信不通という。「戦争が私の家族を切り裂いた。私にとって、戦争はまだ終わっていない」と唇をかみしめた。

 岡山県代表の中野貞子さん(89)=玉野市=は、夫の勇さんをビルマ(現ミャンマー)で亡くした。「どのようにして息絶えたのか考えると、かわいそうで、つらくて。線香を絶やさないため、一日でも長く生きたい」と涙ぐむ。

 原爆死没者遺族代表の山肩俊彦さん(65)=広島市西区=は戦後生まれ。祖父と兄、姉が被爆後間もなく、母は9年後に亡くなった。「あの戦争と原爆投下を風化させてはならない」と誓いを新たにしていた。 (武河隆司、荒木紀貴)

(2011年8月16日朝刊掲載)

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