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沖家室島の移民史…共有の場 周防大島町に展示室 ハワイ生活の写真など紹介 山口

 山口県周防大島町の南端に浮かぶ沖家室島で8日、島関連の移民資料を集めた展示室がオープンする。最大の移民先であるハワイでの暮らしぶりを伝える古写真などを通じて移民史を後世に伝え、人と情報が集う場となることを願う。

 「かむろシーサイドミュージアム」と名付けられた展示室は、戦前に島から朝鮮半島に渡った実業家・柳原竹二ゆかりの木造2階建ての迎賓施設「群山(くんさん)荘」の2部屋計約20平方メートル。最大の移民先のハワイで、島出身者がピクニックをした1930年の記念写真などをパネル展示するほか、14年から27年間にわたって発行された同郷誌「かむろ」の復刻版などが並ぶ。

 展示室を提案したのは天理大文学部の安井真奈美教授(48)=文化人類学・民俗学。移民史の調査で島を訪れた2013年、ハワイ移民の親族がいる島在住の大谷亮子さん(84)から「研究に役立てて」と古写真やトランクなどの寄贈を受けた。安井教授は「貴重な文化遺産。沖家室で保存・活用するのが望ましい」と考えたという。

 群山荘は現在、島出身者たちの宿泊などに活用されている。維持管理する地元の泊清寺の新山玄雄住職(64)が「先人の足跡を記録し、後世に伝えるよりどころになるはず。学習と交流の場にしたい」と賛同し、開設準備を進めた。

 8日は午後2時から、泊清寺で記念フォーラムがあり、安井教授と同大の学生たちが島とハワイの交流の歴史について研究成果を発表する。(久行大輝)

沖家室島
 瀬戸内海の海上交通の要衝だった約1平方キロの島。漁業で繁栄し、明治期には人口が3千人を超えた。少ない耕作地と一本釣りの技術で外洋まで魚を追い掛ける漁師町の気質から、新天地を求めて戦前、中国東北部、台湾、朝鮮半島、北南米、ハワイなどに渡った。旧東和町の町誌によると、1919年には、7月末時点の島の人口(142人)の3.4倍に当たる481人の島出身者が海外で暮らしたという。

(2015年8月7日朝刊掲載)

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