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社説・コラム

私の一枚 家族写真

 昭和18(1943)年春、私は袋町国民学校(現広島市中区の袋町小)を卒業しました。写真はその少し前、家族そろって宮島で撮りました。右端が父、次が上の妹、私、前列の2人が弟、後ろに母、そして母に抱かれているのが下の妹です。当時は8人家族で祖母もいましたが、これには写っておりません。

 第2次大戦末期、焼夷(しょうい)弾など夜間の空襲が激しくなり、それを避けて、わずかな家財を郊外の知人宅へ疎開させました。この写真は、両親がその荷物に入れた3枚の中の1枚です。これに写っている7人のうち、両親と弟2人、妹2人の6人は、みな被爆死しました。家族は祖母と私だけになりました。

 疎開させたもの以外の写真は全部焼失しました。私にとって大切な1枚、手元で大事に保管しております。(広島市中区 奥本博 85歳)

(2015年8月7日朝刊掲載)

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