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教え子思い追悼の辞に涙 山中高女元教諭・平賀栄枝さん 広島原爆の日

 山中高女教諭だった平賀(旧姓水木)栄枝さん(92)=福山市引野町=は、広島市中区国泰寺町の学徒動員現場跡に立つ同校慰霊碑に、後身の広島大付属福山中高で副校長を務める長男博之さん(54)や生徒と訪れ、手を合わせた。「平和の礎となった学徒の死を忘れないでほしい」と願い、託した。

 山中高女は、市役所そば旧雑魚場町での建物疎開作業に動員された1、2年生ら計404人が原爆死した。3、4年生を受け持った平賀さんは市郊外の工場近くにいた。2日後に千田町(現中区)で全焼した校舎跡に戻り、生徒の安否確認に追われる。

 「広島赤十字病院で『先生』とか細い声しか出せない生徒にも『元気を出してね』というしかなくて…。その子の名前を病院の死没者名簿で見つけ胸をえぐられました」。石碑に刻まれた「殉国学徒之碑」の文字をじっと見詰め祈った。

 翌年夏に移った第二県女(現皆実高)の生徒も同じ現場に動員され43人が死去していた。現場跡に52年、両校の碑が並んで建立されると慰霊祭への参列を欠かさなかった。博之さんを幼い頃から伴った。

 「不思議な縁だと思います」と博之さんは言う。広島市立中教員を経て1993年、広島大付属に採用され昨年から副校長に就く。

 福山中高の生徒は大半が広島県東部や岡山県の出身で、被爆した山中高女の校史をくむとは知らずに入学する。「母校の歴史を基に国内外でヒロシマを伝えられるようにしたい」と母の思いも受け止める。

 全校生徒は夏休みを前に折り鶴を折り、学友会代表が慰霊碑に携えささげる。遺族や元学徒の高齢化が進み、福山中高の卒業生たちは99年から慰霊祭の運営も支えている。

 被爆70年のこの日。「先輩方の犠牲を繰り返さない」。高校2年小松原彩乃さん(16)が追悼の辞を読むと、平賀さんは涙のにじむ顔を引き締めた。式後は、人前ではあまり話さない被爆体験を進んで生徒に語った。「必ず思いをつないでくれる」と感じ、期待もしたからだ。(「伝えるヒロシマ」取材班)

(2015年8月7日朝刊掲載)

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