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母の悲劇を息子と伝える 本川小資料館ガイド・岩田美穂さん 広島原爆の日

写真の家族を奪った戦争 「繰り返さないで」

 平和のバトンを脈々と。原爆の日の6日、広島市内で70年前のあの日の記憶を託し、託される営みが繰り広げられた。被爆者から子へ、孫へ。原爆にも、戦争にもノーを言い続けたその願いを語り継ぐのが、悲劇を繰り返さぬ手だてと信じ、次代の走者たちがスタートを切った。

 広島市中区の本川小平和資料館で、被爆2世のガイドボランティア岩田美穂さん(57)=中区=が次男の愛媛大3年、雅之さん(21)=松山市=と初めて一緒に立ち、原爆で家族5人を亡くした母親の体験を子どもたちに語った。被爆数日前に撮った母の一家6人の家族写真と、その悲しみに満ちた記憶を継承し、平和の尊さを伝え続けるため。「戦争を繰り返さないで」。未来を築く訴えが共鳴した。

 「この写真を見ることができたのは、智津子さんだけでした」。岩田さんが、パネルに引き伸ばした母、綿岡智津子さん(2011年に82歳で死去)一家の写真を指さすと、関東から平和学習に訪れた小中学生36人が一斉に目を向けた。

 撮ったのは1945年8月、爆心地から750メートル、西九軒町(現中区)の自宅。その両親と3人の妹は―。「みんな原爆で死んでしまいました」。自宅跡で、抱き合った母親と末の妹の遺体を見つけた智津子さんの悲しみも代弁した。

 母校でもある同小で14年前からボランティアを務める岩田さん。市編さんの広島原爆戦災誌によると少なくとも児童218人が亡くなったとされる同小の過去に加え、母親の悲劇を必ず話す。「私自身の話に引き付けると子どもの目が違う。自分の家族を思い浮かべやすくなるからかな」。その語りは共感を呼び、地元の作家たちにより絵本「いわたくんちのおばあちゃん」にもなった。

 その「いわたくん」が雅之さんだ。本川小6年だった被爆60年の平和記念式典で、こども代表として「平和への誓い」を読み上げた。「ヒロシマを語り継ぎ、伝えていきます。平和な世界を築くまで」

 今もその誓いを胸に刻む。進学後、親しい友人を連れて実家に戻ると平和記念公園を案内する。先月、原爆被害を英語で伝える10分の動画も授業で作った。

 この日、母のそばで祖母の悲劇を聞き、無条件に命を奪う戦争の恐ろしさをかみしめた。「僕より若い世代にも、70年前に広島を覆った悲しみを伝え、平和の尊さを考えてほしい」。県内に戻って教員となり、子どもたちにヒロシマを伝える夢を描く。(樋口浩二)

(2015年8月7日朝刊掲載)

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