×

ニュース

赤十字病院で被爆 元看護学生と患者 歩んだ日々語り合う 広島原爆の日

 1945年8月6日に、ともに広島赤十字病院(現広島赤十字・原爆病院、広島市中区)で被爆した当時の看護学生、林信子さん(87)=佐伯区=と入院患者の吉田寅夫さん(89)=中区=が6日、同病院前で初めて対面した。医療の拠点をも混乱に陥れた惨禍を振り返り、懸命に歩んだ70年を語り合った。

 林さんはあの日、病棟3階で被爆して頭を強打。意識が戻るとすぐ、救護に奔走した。その半生を紹介した中国新聞の連載「ヒロシマ70年」を読み、対面を望んだのが吉田さん。陸軍に徴兵されていたが、あの日は鼻の手術を控え、同階の別室に入院していた。全身にガラスを浴び、数カ月は院内にとどまったという。

 当時の記憶を自分史にまとめ始めた吉田さんは「どんな治療をしとられましたか」「何を食べましたかね」と熱心に質問した。林さんは薬や食糧、人手が圧倒的に不足した様子を回顧。遺体の火葬に追われた壮絶な状況を伝えた。

 吉田さんは戦後4、5年は体のだるさがとれず、仕事が続かなかったという。94年には、右脚からガラス片を取り除く手術も受けた。昨年に体験を証言し始め「若い人にはぴんとこないかもしれんが、戦争はいけんと伝えたい」。林さんも「次の被爆者をつくらないようにしないとね」。慰霊碑を前に誓い合った。(田中美千子)

(2015年8月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ