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スコープ 被爆建物の対応に差 広島市内の企業所有10件 解体や建て替え検討も

 広島市が保存を呼び掛ける被爆建物。市が登録している86件のうち、10件は企業が所有する。戦後、それぞれ自社の事業に使ってきた。しかし、被爆から70年が過ぎ、建物の老朽化が進む。解体や建て替えが検討されているケースも少なくない。(桑島美帆)

 爆心地から710メートルの場所にある福屋八丁堀本店(中区)。原爆投下による爆風で窓や扉は吹き飛び、館内を猛火が襲った。建物はぼろぼろになったが、戦後、社員が一丸となって復旧に当たり、少しずつ増改築を重ねてきた。現在は1階に海外の高級ブランドが軒を連ねる。

 福屋は、八丁堀本店の耐震化や定期的な補修を継続し、今後も可能な限り使っていく方針だ。大下龍介会長は「戦前の福屋の面影を残している趣のある建物。これからも大切に使っていく」と言い切る。

数年かけ耐震

 金箔(きんぱく)や銀箔の壁紙を製造する歴清社の久永清治社長も、西区三篠町の本社内にある被爆建物の倉庫と煙突を次世代に引き継ぐことを決めた。数年に分けて耐震化を進める計画だ。久永社長は「大変な時代を乗り越えてみんなが頑張ってきたから今がある。この工場でやっていくという思いが強い」と力を込める。

 広島市国際平和推進部によると、市内に現存する企業所有の被爆建物は10件。2000年以降、山口銀行本通支店(中区)やカルビー倉庫(南区)など5件が、再開発や土地の売却を機に取り壊された。

 東日本大震災後は耐震化も一層迫られるようになった。広島市の松井一実市長は「被爆の実相を伝えるため、市内の被爆建物を守るという措置も重要」と強調。耐震化に伴う補助金の増額などを検討している。

 それでも、わざわざ耐震化してまで被爆建物を残そうとする企業は少数派だ。これまでは建物を「使えるから使ってきた」という側面が大きい。

 軍需物資の輸送強化のため、1943年に国が設けたJR貨物広島支店広島車両所(東区)。敷地内には、貨物列車を修理する「第1主棟」や燃料の保存庫など3棟が残る。

 3棟とも、戦前同様に使っている。依田敦支店長は「将来、会社が建て替えを必要と判断すれば、そうせざるを得ない」と考える。

 本社敷地内にれんが造りの事務所と変電所の2棟を持つ広島電鉄(中区)も同じだ。椋田昌夫社長は「創業時からある大切な建物だが、被爆建物としての保存は前提ではない」と説明する。補助金の活用も考えておらず、周辺の再開発構想の中で、場合によっては取り壊しも視野に入れる。

コストで判断

 行政機関とは異なり、企業が自ら所有する被爆建物を維持管理のコストなどを踏まえた上でどうするかを決めるのはやむを得ない部分が大きい。だが、建物の保存は企業自身のためにもなるという指摘もある。

 広島市内の建築物などを調べている市民団体アーキウォーク広島(中区)の高田真代表は「写真や書物と違い、建物は五感で歴史を感じられる。企業が持つ被爆建物は、戦後の混乱期を生き抜いた企業の象徴でもある。社員たちが企業の歩みを受け継いでいく手段になる」と強調する。

◆記者の目◆

歴史をつなぐ意義は大きい

 企業が持っている被爆建物のほとんどを間近に見て歩いた。今は民営化された日本郵政が所有する広島逓信病院の被爆資料室では、懸命に治療に当たる当時の医師たちの姿が目に浮かんだ。建物が現存するからこそ感じられることがある。社会貢献の観点からも、企業が建物の歴史をつなぐ意義は大きいはずだ。

被爆建物
 広島市が爆心地から5キロ圏内で被爆した建物を台帳で管理する。現在、登録されている86件のうち、国や県、市などの公共機関の所有が20件、神社仏閣を含めた民間の所有が66件。この中で企業の所有は10件となっている。

(2015年8月7日朝刊掲載)

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