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各地で慰霊祭 広島原爆の日 優しかった兄の遺品なく/核廃絶に役立ちたい

 ◆原爆死没者慰霊行事(中区中島町)
 身元不明の犠牲者など約7万体の遺骨が眠る原爆供養塔前に、被爆者や遺族たち約400人が集った。主催した広島戦災供養会の田口晴久会長(73)=西区=は「70年を経てあらためて原爆の悲惨さを感じる」。遺族代表の植田峰雄さん(90)=東区=は「食べるものにも困らず、今ある平和がありがたい。戦争は恐ろしい」と話した。

 ◆広島二中原爆死没者慰霊祭(中区中島町)
 旧制広島二中(現観音高)の卒業生や遺族たち約300人が参列。観音高の生徒が旧制中の校歌を合唱する中、犠牲になった職員、生徒の冥福を祈った。当時1年生で、列車の遅れのため被爆を免れた玉川祐光さん(83)=安芸高田市=は「亡くなった仲間のためにも平和な世界にしなければならない」と誓った。

 ◆県職員原爆犠牲者追悼(中区加古町)
 県職員や遺族たち約250人が、旧県庁跡の慰霊碑前で犠牲者1141人をしのんだ。竹内幸恵さん(83)=中区=は、母親の水野富士枝さん=当時(37)=の遺骨が見つからず、墓には愛用のブローチだけを納めているという。「明るく活発で誰からも好かれていた。母を奪った核兵器が世界からなくなってほしい」と願っていた。

 ◆広島赤十字・原爆病院原爆殉職職員ならびに戦没職員慰霊式(中区千田町)
 看護師や医師たち約180人が参列し、慰霊碑に花を手向けた。当時、病院併設の救護看護婦養成部2年で、研修中の病棟で被爆した井口トシエさん(88)=中区=は「病院や周辺は大けがを負った人であふれた。70年たった今もあの光景は忘れられない。亡くなった同級生のためにも戦禍で苦しむ人がいないよう祈る」と語った。

 ◆広島郵便局原爆殉職者慰霊祭(南区比治山町)
 遺族や職員たち約100人が慰霊碑のある多聞院に集った。犠牲者288人を思い、碑に花をささげ、読経後に焼香した。加藤義典さん(87)=西区=は、父のように慕っていた叔父の平末淳さん=当時(38)=を亡くした。「勉強せえよと気に掛けてくれた厳しくも優しい叔父。安らかに眠っていてほしい」と手を合わせていた。

 ◆電気通信関係原爆死没者慰霊式(中区基町)
 遺族やNTT西日本の社員たち約120人が慰霊碑前で黙とうをささげた。毎年訪れる粟村直弘さん(81)=福山市=の兄吉雄さん=当時(17)=は出勤途中に被爆したとみられ、行方が分からないままだ。「妹に本を買ってあげた優しい兄。遺品がなく、生きた証しまで奪われた」。強い口調で核兵器廃絶への思いを新たにしていた。

 ◆国土交通省(旧内務省)原爆殉職者慰霊式(平和記念公園)
 原爆ドームそばにある旧内務省の慰霊碑前で、中国地方整備局の職員や遺族たち約100人が献花した。県北に集団疎開していた入居豊子さん(82)=岡山市東区=は、内務省で働いていた母と、父を失った。「終戦後、疎開先で周りの子は親が迎えに来るのに自分だけ取り残され寂しかった」。当時を思い出し涙ぐんだ。

 ◆修道中・高被爆70周年平和祈念行事(中区国泰寺町、南千田西町)
 修道中2年の約280人が、建物疎開中に生徒が被爆した場所に近い国泰寺公園で黙とう。武井安澄君(14)は「同年代だった先輩たちが犠牲になった。核兵器のない世の中のため自分も役に立ちたい」と誓った。同校では、今春の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に出席した生徒による報告があり、約1700人が聞いた。

 ◆日本損害保険協会中国支部「友愛の碑」慰霊祭(中区中島町)
 平和大通りの緑地帯にある碑の前に、損害保険会社などの社員約300人が集まり、犠牲となった89人に祈りをささげた。11社の代表が献花し、全員で黙とうした。初めて参加した同支部の吉田徹事務局長(51)は「70年前に犠牲になった同業の先輩に思いをはせ、戦争のない世界への思いを強めた」と話した。

 ◆広島市立広島商業高原爆死没者慰霊祭(中区中島町)
 市立広島商業高と、姉妹校の長崎市立長崎商業高の生徒たち約200人が参列。生徒代表が2007年に両校で策定した「共同平和宣言」を読み上げ、平和への思いを新たにした。広島商業高3年迫田芹郁(せりか)さん(18)は「一人一人の命の重みを感じながら、核のない平和な世界のために声を上げる」と力強く訴えた。

 ◆広島高等師範学校付属中原爆死没者・戦没者慰霊追悼の集い(南区翠)
 広島大付属中・高にある慰霊碑の前で、卒業生や同中1年生たち計約200人が黙とうし、花を手向けた。2005年に建てられた碑には、戦争で亡くなった生徒や教職員、卒業生たち計226人の名が刻まれている。両親と兄を亡くした高田勇さん(83)=南区=は「家族を失った悲しみは70年たった今も変わらない」と語った。

 ◆県動員学徒等犠牲者の会原爆追悼式(中区中島町)
 遺族や、動員学徒が犠牲になった段原中(南区)の生徒たち約300人が慰霊塔の前で黙とう。同中3年三保竜己君(14)は「命のありがたさを考え、身近なところから平和な社会を築きたい」と誓った。兄が犠牲になった沖寿美子さん(78)=西区=は「家族をめちゃくちゃにする戦争は二度とあってはならない」と力を込めた。

 ◆嵐の中の母子像供養式(中区中島町)
 広島市地域女性団体連絡協議会などの約130人が集まった。平和学習に南観音小(西区)の児童も初めて参加。「原爆を許すまじ」を合唱し、祈りをささげた。月村佳子会長(71)=西区=は「原爆の惨禍を経験した人が少なくなってきたからこそ、核兵器反対の声をより強く広島から訴えたい」と話した。

 ◆県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追悼式(中区小町)
 県立広島第一高等女学校(現皆実高)の卒業生や遺族、同高の生徒たち約330人が参列。犠牲になった生徒、教職員計301人の冥福を祈った。当時1年生で、現在の安佐南区の臨時教室にいて助かった宍戸和子さん(83)=中区=は「生き残った者の使命として若い人への継承を続けたい」と話した。

 ◆旧制広島市立中学校原爆死没職員生徒慰霊祭(中区小網町)
 天満川沿いの慰霊碑前に、遺族や旧制中の流れをくむ基町高の生徒たち約450人が参列。登世岡浩治さん(85)=東区=は、弟の純治さん=当時(12)=が建物疎開中に被爆。「全身にやけどを負って帰り、家族にありがとうと言い残して6日後に亡くなった」。同高2年高岡真央さん(16)は「後輩として原爆の恐ろしさを伝えていく」と話した。

 ◆広島大原爆死没者追悼式(中区東千田町)
 遺族や大学関係者たち約100人が参列し、慰霊碑に花と水をささげた。広島工業専門学校(現広島大工学部)の授業中に父親が被爆した遺族代表の奥田美智子さん(57)=京都市=は「原爆について多くを語らなかった父の体には、ガラス片が刺さった傷痕がいくつもあった。当時の話をもっと聞きたかった」と手を合わせた。

 ◆県被団協(坪井直理事長)原爆死没者追悼慰霊式典(中区基町)
 会員や遺族たち約150人が犠牲者を悼んだ。陸軍兵だった兄を亡くした今田シヅコさん(89)=呉市=は、せんべいを分けてくれた姿を思い出す。8人きょうだいで残るのは今田さんだけ。「式典に来ると思い出がよみがえってくる。動ける限り参列を続ける。忘れたくないから」。祭壇の花を持ち帰り、兄の墓に供えた。

 ◆原爆犠牲新聞労働者「不戦の碑」碑前祭(中区加古町)
 新聞社、通信社の社員を悼む碑の前に遺族たち約120人が集まった。ことし新たに2人の犠牲者が判明し、碑に刻まれた名前は132人になった。神崎正男さん(85)=東区=は中国新聞社の社員だった姉の冨美子さんを亡くした。「ここに来ると姉に会える気がして落ち着く。これからも訪れたいが、体も弱ってきた」と話した。

 ◆国鉄原爆死没者慰霊式典(中区東白島町)
 遺族やJR西日本社員たち約120人が慰霊碑前で献花し、「原爆を許すまじ」を歌った。中村福一さん(82)=安佐北区=は、通勤中に被爆したという姉の姿を今でも忘れない。「顔が分からなくなるほどのやけどを負って亡くなった。あれほどひどい姿にする核兵器を二度と使わせてはいけない」と声を強めた。

(2015年8月7日朝刊掲載)

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