×

ニュース

66年目の同窓会 広島・本川小 焼失した名簿 5年かけ復元

 広島市で爆心地に最も近かった本川国民学校(現本川小、中区)を1945年3月に卒業した元同級生と遺族が22日、本川小で初めての同窓会を開いた。級友の多くが建物疎開作業で被爆死するなどして戦後は交流が途絶えていた。元同級生の有志が在籍名簿の復元に取り組んだのをきっかけに卒業から66年で実現。現存する旧校舎を見学し、亡き級友に思いをはせた。

 同窓会を呼び掛けた兵庫県川西市の山崎恭弘さん(78)たち元同級生12人と遺族2人が集まった。爆心地から410メートルで被爆に耐え、現在は平和資料館として活用されている旧校舎では「ここにげた箱があった」「窓枠は昔の形のままじゃね」と語り合った。

 西区の藤田満則さん(78)は卒業後、初めて資料館を訪れた。「みな自宅は爆心地近く。私も母が被爆死し、つらくて来ようとは思わなかった」と明かした。

 当時の在籍名簿は原爆で焼失。45年は児童約160人が卒業したとみられるが、全容は今も不明だ。卒業から約5カ月後のあの日は、大半が旧制中学や女学校などの生徒として建物疎開に動員されたとみられる。学校によっては全滅するなど多くが犠牲になった。

 山崎さんは2006年から元同級生たちと記憶を突き合わせたり、進学先の学校の記録を調べたりして名簿復元に取り組んだ。5年間で被爆後の生存者31人(故人含む)と被爆死した81人の計112人を確認。生存者に一度も開いていない同窓会を提案した。

 山崎さんは「まだ、生死や名前が分からない級友が約50人いる。追跡は厳しいが、亡き友のためにも今後も続けたい」と話している。 (藤村潤平)

(2011年8月23日朝刊掲載)

年別アーカイブ