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社説・コラム

天風録 「紙の碑」

 広島市の平和大通りはきのうの朝、別の顔を見せた。緑地帯のそこここに立つ原爆犠牲者の慰霊碑に花がまつられる。菊にユリ、キキョウ…。春のフラワーフェスティバルとは趣がずいぶん違う▲巡ってみると、碑の幾つかは被爆10年の節目に建てられたことに気付く。「還暦」をことし迎えた一つ、第一県女(現在の皆実高)の碑には説明板を新たにしつらえている。体験の風化も何するものぞの心意気という▲小菊の並ぶ献花台の脇に「ヒロシマ70年」と題した、真新しい歌集が手向けられていた。82歳になる卒業生の梶山雅子さんが戦後、詠み連ねてきた300首近くを収める。級友に先立たれた悲しみ、生き残った孤独。思いの丈がこもる▲近作の1首が目を引く。<平和とはだあれもゐなくなることか原爆が平和の手段なりせば>。抑止論が幅を利かせる世界を見れば、むしろ核より先に人類が廃絶となりかねない―。そんな予感を、誰も笑い飛ばせまい▲「碑(いしぶみ)」とは、大漢和辞典によると戒めや規則を刻み付けて建てる石のことらしい。被爆体験こそは、世界じゅうの人々が脳裏にとどめ置くべきもの。それを記した書物ならどれも、「紙の碑」と呼びたくなる。

(2015年8月7日朝刊掲載)

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