×

社説・コラム

社説 被爆70年 平和宣言と首相 核廃絶へ新たな行動を 広島原爆の日

 米国が原爆を落としてから70年のきのう、被爆地ヒロシマは平和への祈りに包まれた。誰にも二度とあんな目に遭わせたくない―。怒り、恨み、悲しみを抱えながら、核兵器廃絶の運動を引っ張ってきた被爆者たち。その姿にも老いが目立った。

 当時、20歳だった人は90歳、10歳の人は80歳になる。肩を抱えられるようにして歩いたり、車いすに乗ったり。平和記念式典では高齢の被爆者を夏の日差しから守ろうと会場のほとんどをテントで覆った。

 私たちは思う。被爆体験がある人に頼り過ぎてきたのではないか―。だから被爆70年を大きな節目として捉えていたのかもしれない。語り継ぐことは、もう難しくなる、と。

 しかし、今こそ新たな行動を始めるときではないか。70年を区切りにしてはならない。

「まどうてくれ」

 松井一実広島市長の平和宣言からも、そうした思いを感じ取れる。大きなうねりをつくるのは今と呼び掛けた。

 やはり原動力となるのは70年の年月を経てもなお、老いた被爆者や遺族の心の中に響き続ける悲痛な叫びである。市長は平和宣言の中で「広島をまどうてくれ!」と怒気を込めた。古里や家族、身も心も元通りに―。その思いが消えることはない。人々の暮らしを一瞬にして奪い去る核兵器は「非人道の極み」であり「絶対悪」である。宣言に盛り込まれた言葉は重い。

 核兵器廃絶に向けた国際社会の取り組みもままならない。米ロ核軍縮の機運がしぼむ中で、世界にはいまだ、約1万6千発の核兵器がある。米ニューヨークで開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、最終文書が採択できず、5月に決裂してしまった。

 先が見通せないからこそ被爆地が動かなくてはならない。市長は以前からの目標である2020年までの核兵器廃絶をあらためて掲げ、その実現に向けた核兵器禁止条約の交渉開始に強い決意を示した。実現に向けて被爆地も正念場である。

 そうした思いは式典に出席した安倍晋三首相に、どこまで届いただろうか。

願いと擦れ違い

 被爆地に対して一定の配慮はしたつもりなのだろう。首相はあいさつで、滞りがちな原爆症認定について「一日も早く認定されるよう審査を急ぐ」と述べた。原則6カ月以内に終えるよう見直すという。ただ被爆地が求める「黒い雨」の範囲拡大などには応じなかった。踏み込み不足と言わざるを得ない。

 しかも核兵器禁止条約には触れずじまいで、昨年まで言及していた非核三原則の堅持はあいさつ文に入れなかった。国連総会における新たな核兵器廃絶決議の提案など一見、前向きにも思える中身もあるが、米国の「核の傘」に依存する姿勢を変えない以上、「核兵器のない世界を実現する重要な使命がある」との言葉は説得力に欠ける。

 被爆者の願いとの擦れ違いは安全保障関連法案に関しても鮮明になったといえる。7団体の要望を聞く会でも撤回を求められたのに対し、「戦争を未然に防ぐもので必要不可欠」と突っぱねたのは理解しがたい。

 首相は広島・長崎の訴えが国際社会の大勢になりつつあることを直視すべきだ。現に式典には過去最多の100カ国の代表が出席した。米国の政府高官として初めてローズ・ガテマラー国務次官も参列した。

広島訪問の好機

 来年は主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)があり、それに先立つ外相会合は広島市で開かれる。世界の指導者たちに被爆地を訪問してもらう好機であることは首相も松井市長も強調した。オバマ米大統領が広島訪問を果たすとすれば、来年しかないとの見方もある。

 きのう平和記念公園を訪れた100人に中国新聞が聞いたアンケートでは「オバマ大統領が被爆地広島を訪問すべきだ」と答えた人は84人に上った。老いた被爆者の生の声を伝えるために、政府も地元も積極的に働き掛けたい。核兵器廃絶に向けた行動のきっかけとして。

(2015年8月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ