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社説・コラム

天風録 「阿川さんの怒り」

 瞬間湯沸かし器。そう異名をとる父親に、娘は図らずもスイッチを入れてしまう―。「叱られる力」と題した本は、怒られっ放しの人生のたまものか。父は広島出身の作家阿川弘之さん、娘はエッセイスト佐和子さん▲騒いでもない隣室の幼い娘に「そこにいる気配がうるさい」と怒鳴ったとは、むちゃな親だ。でも社会に向ける矛先は鋭かった。言葉の乱れをはじめ諸事に、随筆などでかみついた。戦後日本の姿が我慢ならなかった▲原点は海軍体験と復員後の虚無。なぜ無謀な戦争を始め、多くの若者を散らせたのか。郷里が廃虚と化した衝撃もあったろう。初期の短編「年年歳歳」に被爆地の人と光景を静かに描いた。だが原水爆禁止運動に政治色が強まると「原爆」に触れなくなる▲それでも投下した米国へのくすぶる思いを、晩年の随筆に残していた。戦争はお互いさま、憎悪の念は持つまいと思ってきたものの、「広島生れ広島育ちの私の場合、事情がちがふ」。身近な人が大勢奪われたのだと▲やはり怒りは腹の底で煮えていたようだ。この国は今また、さまざまな問題で岐路にある。もっと議論しろと「沸騰」していたのではないか。残念ながら訃報が届いた。

(2015年8月8日朝刊掲載)

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