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社説・コラム

社説 70年談話の報告書 「侵略」の事実 直視せよ

 戦後70年の安倍晋三首相の談話が、終戦の日の前日に閣議決定されることになった。戦後70年談話に関する有識者懇談会からおととい提出された報告書を参考にして、当日までに談話をまとめるという。

 その中で日本の「侵略」や「植民地支配」が明記されたことを、首相がどう受け止めるのか。かねて消極的だった「おわび」の言葉は本当に入れるつもりがないのか。そうした点が、国内外から注目されよう。

 「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継ぐ」と首相は繰り返し述べてきた。とりわけ戦後50年の1995年8月に閣議決定した村山談話を指していよう。先の大戦を「植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と明言し、「痛切な反省の意と心からのおわびの気持ち」を表明した。

 首相の言葉通りなら、70年談話も当然、それに沿った中身になってしかるべきだ。

 重い意味を持つのが、首相の肝いりで設置した有識者懇談会が村山談話の路線と同じく、過去の事実を直視すべきだという姿勢を明確に打ち出したことであろう。

 報告書は31年の満州事変以後の日本の行動を「侵略」と明記し、無謀な戦争でアジアを中心とした中国をはじめとする諸国に多くの被害を与えた、との見方を示している。さらに日本による植民地支配の過酷さを認定した。その上で「30年代以降の日本の政府、軍の指導者の責任は誠に重い」と責任の所在をはっきりさせている。先の大戦を正当化するため使われる「アジア解放のために戦った」という論法を退けたのも目を引く。

 侵略と認める考え方は16人の委員の大勢だったようだ。2人の異論があったが欄外の注釈で「国際法上、『侵略』の定義が決まっていない」などと示すにとどめた。公開された議事録を見ると多くが定義や当時の価値観から、明らかに侵略だと明記を求めていたことが分かる。

 そのことが何を物語るのか。首相が「持論」とする歴史認識は通用しないという直言にほかなるまい。官房長官時代から今回の「注釈」と同じような主張を繰り返し、侵略という言葉を使うのを嫌がっていた。

 ここに至っては、首相談話において「侵略」という物言いをあえて避ければ、個人的なエゴと受け止められよう。盛り込むのは当然ではないか。

 「おわび」についても同じことがいえる。報告書にはアジアへ謝罪を促す内容はなかった。未来志向を強調し、後ろ向きな首相に遠慮したのだろう。

 だが本質的には国の指導者が過去にどうけじめをつけるかは一懇談会の意向には左右されない。「報告書にないから」を理由とせず、自らの言葉で表明すべきである。それが村山談話を本当に継承する道だ。

 70年談話の持つ意味をあらためて考えたい。報告書が指摘するように、戦争を仕掛けて甚大な被害を与えた中国、植民地支配で犠牲を強いた韓国との和解が、完全に達成されたとはいえない。未来志向というなら、今こそ真の和解に向けたメッセージを届けるべきときである。痛みを受けた側に立ち、相手に届く言葉を発信しなければ、解決への道は開けてこない。

(2015年8月8日朝刊掲載)

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