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社説・コラム

『潮流』 長岡の戦火を思う

■論説副主幹・岩崎誠

 歴史好きの性(さが)なのか。初めて訪れる土地では、つい城に足が向く。しかし、その街は旧城下町なのに城跡すら残っていなかった。新潟県の長岡市である。

 目抜き通りのわきに碑があるだけだ。147年前の戊辰戦争で長岡藩は新政府軍に抗し、城下町ごと焼き尽くされる。さらに70年前の米軍の焼夷(しょうい)弾爆撃で、街は再び灰燼(かいじん)に帰した。

 だからこそ平和の願いを継ぐ土壌が根付いたのかもしれない。名物の長岡花火も戦災の慰霊のためのものだ。ことしは空襲の日に当たる今月1日、市主催の平和祈念式典を初めて開いたばかりである。戦後70年の平和関連事業は30に上り、空襲を受けた地方都市では特筆すべき熱意だろう。

 駅前の長岡戦災資料館を訪れると、市が集めた300人以上の遺影に驚かされる。幼い子どもたちの顔もある。空襲犠牲者の掘り起こしを行政の仕事として粘り強く続けているという。

 新たな名前が判明すると公表し、市民と情報を共有することも忘れない。ことし3人が加わった「殉難者名簿」に載るのは1486人。一人一人の死の重みに思いを巡らせたくなる。

 原爆以外の「一般戦災」の救済は戦後手付かずのままだ。何とかしようと原爆の日の6日、東京で動きがあった。空襲被害者の救済を目指す超党派の国会議員連盟の設立総会である。自民党から共産党まで、国会で火花を散らす与野党8党が名を連ねる。同様の議連は4年前にもできたが挫折した。今度こそ実を結ぶよう世論を盛り上げたい。

 そのためにも各地の空襲被害に、被爆地広島からもっと思いを寄せてもいい。

 長岡市には原爆投下訓練の「模擬原爆」が落とされた事実もある。市は広島に学ぶ営みに力を入れ、こちらの平和記念式典に中学生を毎年派遣している。「71年」に向け、連携をより強めることはできないか。

(2015年8月8日朝刊掲載)

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