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社説・コラム

社説 被爆70年 広島と3・11 福島の教訓 風化させぬ

 4年前の福島第1原発事故は被爆地にとっても大きな衝撃だった。核エネルギーの脅威と、暴走した場合の甚大な被害。まさしく原爆投下後の広島と、福島の厳しい現実が二重写しになったからである。

 原発に依存する日本のエネルギー政策への厳しい言葉が被爆地からも発せられてきたのは、当然のことであろう。

 しかし、今はどうか。被爆地でさえ福島の被災者が恐れていた「記憶の風化」が進んでいるように思える。6日の平和記念式典においても、残念ながらそうした印象を受けた。

 松井一実市長の平和宣言には昨年に続いて、福島第1原発事故やエネルギー政策の文言がなかった。「広島をまどうてくれ」という象徴的な言葉は、原発事故で家族の絆や古里を失った福島の人たちにも通じるところがあろう。しかし、それは誰に問いただす言葉かが曖昧だ。

 東日本大震災の直後に就任した松井市長は事故後3回にわたる平和宣言では、福島の事故を明確に記し、エネルギー政策にも注文を付けていた。このまま触れずじまいになるのだろうか。長崎市の宣言ではことしも福島の問題に言及するようだ。あまりに対照的である。

 同じことは、式典の首相あいさつについてもいえる。民主党政権下では曲がりなりにも福島に言及していたが、安倍晋三氏が首相の座に返り咲いてからは3年続けて触れなかった。原発再稼働に前のめりになるあまり、福島のことが頭の中から消えたわけではあるまい。

 被爆70年という節目に核兵器廃絶や継承の手だてを議論するのは当然だ。しかし、3・11がもたらした問題が、こうまで埋没するのはいかがなものか。式典には全町避難が続く福島県浪江町の町長がことしも参加していた。広島県内にはなお約200人が福島から避難している。

 いったん固く結ばれたはずの広島と福島の絆が失われていいわけはない。置き去りにされる悲しさや憤りは、かつて被爆者が身をもって知った。今こそ、少し前なら当たり前に語られた「被災者に寄り添う」という行動が求められている。

 いま被災者は厳しい状況にある。政府は福島復興指針で避難指示の解除を急ぎ、商工業者にも自立を促す方針を示した。ただ肝心の暮らしを再建する環境が整っていない。東京電力は補償支払いを絞り込もうとしている。被災者が一方的な切り捨てと受け取るのも当然だ。今後とも関心を持ち、必要な支援の手を差し伸べる姿勢が要る。

 九州電力川内(せんだい)原発の再稼働が週明けに迫ってきた。2013年9月から続く国内全基の停止にピリオドが打たれる。原発に対する国民の不安や不信が根強いにもかかわらず、原発回帰へのアクセルが踏み込まれる。

 さらに四国電力が再稼働を目指す愛媛県の伊方原発は地元自治体の同意に焦点が移るが、住民の避難計画に実効性が乏しいなど、さまざまな課題を残す。瀬戸内海のこちら側の私たちも無関心ではいられない。

 福島の教訓を忘れるな―。被爆地からも再び声を上げたい。原発の安全対策強化に、再生可能エネルギーのさらなる普及。「核のごみ」問題も見過ごせない。私たちはいくらでも提言できるはずだ。

(2015年8月9日朝刊掲載)

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