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福山空襲70年 祈りと誓い 慰霊式やつどい 「平和な世界築く」 参加者の声

 福山市の市街地が火の海と化した福山空襲から70年を迎えた8日、同市霞町の中央公園で原爆・福山戦災死没者慰霊式があった。市内では平和のつどいもあり、参加者は不戦を誓った。(小林可奈、衣川圭)

 慰霊式は、市などでつくる原水爆禁止運動福山推進連盟が主催し、遺族たち約280人が参列。母子三人像の前に折り鶴や折りばらをささげた。

 羽田皓市長は「平和で核兵器のない世界の実現に向けて力を尽くす」とあいさつ。思いを次世代につなぐため、ことし初めて高校生が追悼の言葉を述べた。盈進高3年坂本知彦さん(18)は「平和な世界を築く」と約束した。

 松浜町のリーデンローズでは「市民平和のつどい・市民平和大会」があり、約1500人が参加した。学校で折った鶴を持ち寄った小中学生たち約180人は「みんなで共存できる社会をつくっていく」と決意。市内3小中の児童と生徒は、歌声や楽器の音色に平和への願いを込めた。

 福山空襲や原爆の体験者、高校生と大学生によるリレートークもあった。福山空襲の時、勤務先の南国民学校(現南小)の防空壕(ごう)の中で死を覚悟したという土屋輝子さん(90)=明治町=は「戦争のつらい思いはもう誰にもさせたくない。平和な日本を壊さないよう、若い皆さんも支えてほしい」と訴えた。

 福山空襲では、福山の市街地の約8割が焼失。354人が犠牲になり、1万179戸が焼失した。

参加者の声

古里焼け野原…つらい/外国と仲良く

 福山市内で8日に開かれた慰霊式や平和イベントに参加した市民に平和への思いを聞いた。

 証言集会で空襲体験を話した柏原ツヤ子さん(90)=鞆町
 市中心部にあった自宅で被災した。火の海の中を夫と布団をかぶって逃げた。古里が焼け野原になるのは本当につらい。子や孫の世代には、絶対に味わってほしくない。体験を伝えることで平和な世界になれば。

 平和のつどいに折り鶴を持参した樹徳小6年中原聖君(11)=北本庄町
 原爆や戦争で、僕たちと同じ小学生が夢をかなえることができないままに亡くなった。一度戦争をすれば被害者がたくさん出る。外国の人と協力して仲良くして、大人になった時にも平和な社会を続けたい。

 平和のつどいで福山空襲の物語を朗読した市立大2年宮島実良さん(20)=松浜町
 自分たちは空襲に遭った人の声を聞けたが、今後は直接話を聞けない世代になる。将来、保育職を目指す者として、子どもたちに、多くの人が傷つく戦争はしてはいけないという意識が芽生えるよう伝えていきたい。

 娘2人と平和の作品展を見学した幼稚園教諭野浜千香子さん(43)=東明王台
 祖父が福山空襲を体験し、祖父の弟は戦死した。家族が犠牲になる戦争は絶対に繰り返してほしくない。家族に「おはよう」「おやすみ」が言える日常生活を送れることが平和だと思う。そんな平和が続いてほしい。

 福山空襲で4歳の妹を亡くした佐久間晥(あきら)さん(82)=霞町
 市街地は火の海だった。逃げる時の自分の判断が誤ったため、妹が死んだのではないかと、70年間悔やんできた。戦争は二度と繰り返しちゃいけん。次の世代の人には、人の命を大切にするような社会をつくってほしい。

(2015年8月9日朝刊掲載)

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