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残留放射線の人体影響 ABCC 52年には把握

 原爆の残留放射線の人体影響について、原爆傷害調査委員会(ABCC、放射線影響研究所の前身)が1952年、広島の医療関係者から情報を得ていたことが中国新聞の入手した記録文書で分かった。ABCCが早い時期に影響を把握していたことを裏付ける資料として注目される。(論説委員・山内雅弥)

 文書は広島逓信病院(広島市中区)が同年3月28日に開いた座談会のやりとりを記録したB5判、12ページの冊子。出席者や関係者に配ったとみられる。

 座談会には蜂谷道彦院長をはじめ各科の医長、看護師らと、ABCCからグラント・テイラー所長、ワーナー・ウェルス博士らが出席。ウェルス氏が「原爆を受けていない人で後から広島に来て原爆症にかかった人はありませんか」と入市被爆の状況を尋ねている。

 これに対し蜂谷院長は45年11月の時点で、致死量の放射線を受けた患者の骨髄からなお「二次的放射線が放出されていた」と指摘。

 さらに「二次放射線の影響と考えざるを得ない」とした7人の症例を挙げた。うち原爆投下の翌日、子どもの遺体を捜すため爆心地から400~500メートルの焼け跡を長時間掘り起こした女性は、帰宅後に嘔吐(おうと)や下痢、血便で寝込んだ。被爆数時間後に大竹から駆け付けて治療を続けた軍医は白血球数が減少している。

 報告を聞いたABCCはその後も一貫して残留放射線の影響を否定した。鎌田七男・広島大名誉教授は「貴重な記録。埋もれている残留放射線の資料を掘り起こす必要がある」としている。

広島市立大広島平和研究所の高橋博子講師(米国史)の話

本格調査 なぜされず

 残留放射線の影響についての具体的な症例が、ABCC側も同席した公の場で報告されていたことを示す画期的な資料だ。その後、なぜ本格調査が行われなかったのか疑問が残る。


<解説>同時期 独自調査に着手

 「広島、長崎では死ぬべき者は死に、原爆放射能のため苦しんでいる者は皆無だ」。原爆開発の「マンハッタン計画」副責任者だったファーレル准将がこう発言したのは1945年9月だ。

 以来、米国は「非人道的兵器を使った」との批判をかわす狙いもあって、原爆による残留放射線の危険性を否定し続けてきた。

 一方で52年当時、ABCCが独自に残留放射線の影響調査に着手したことが米側文書で判明している。広島県内の市町村長や医師に質問票を送り、314人の症例報告を受けた。9人については血液や便の検査まで行ったという。

 今回記録が見つかった座談会は時期的にほぼ重なる。だがABCCの調査は翌年中止される。蜂谷医師らを除き日本側も詳細な調査を行った形跡はない。(論説委員・山内雅弥)

(2011年8月26日朝刊掲載)

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