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安保法案反対を決議 原水協・禁 長崎で世界大会閉会

 日本原水協などと、原水禁国民会議などが主催する二つの原水爆禁止世界大会は9日、ともに長崎市で閉会総会を開き、全日程を終えた。いずれの大会も、核兵器廃絶に加え、安全保障関連法案や原発再稼働に反対する決議や大会宣言を採択した。

 原水協などの総会は市民会館であり、約6千人(主催者発表)が参加。安井正和事務局長は「私たちが掲げる核兵器のない平和で公正な社会が、明るい未来への希望だ」と訴えた。決議では「平和・いのち・くらしを守る願いを一つにつなぎ、安倍政権を追い詰めよう」と呼び掛けた。

 原水禁などは県立総合体育館で総会を開き、約2200人(同)が集まった。「広島、長崎、福島から、世界に向けて平和と反核・非核、脱原発を発信し続ける」とうたう大会宣言を採択。小西清一副議長が「安倍政権の理不尽な政策を止めるのは、私たち一人一人の行動だ」と強調した。(藤村潤平)

路線踏襲 迫力欠く議論 原水爆禁止世界大会総括 運動 進化させる時

 9日に閉幕した二つの原水爆禁止世界大会は、いずれも新たな展望を見いだせず、もがいている―。そんな印象が強く残る被爆70年の節目の大会だった。

 日本原水協などの大会は、5年ごとの核拡散防止条約(NPT)再検討会議が5月に終わったのを受け、今後の活動をいかに展開するかを話し合う絶好の機会だった。ただ方向性として打ち出されたのは、引き続きの署名活動と世界各地での原爆展の開催が中心。これまでの路線を踏襲し、議論は迫力を欠いたと言わざるを得ない。

 原水禁などの大会は、広島市で結成50年の記念シンポジウムを開いた。過去を振り返り、今後の活動をどう切り開くかを考えるはずだった。しかし、「核と人類は共存できない」との思想を残した初代議長の故森滝市郎広島大名誉教授たち先人の功績をたたえる色合いが濃く、前向きな議論は乏しかった。

 原水爆禁止運動は、戦後民主主義の草の根から生まれた。米国がマーシャル諸島・ビキニ環礁で実施した水爆実験により、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が被曝(ひばく)。全国各地から集まった原水爆禁止の署名は3千万人を超え、その機運から60年前の1955年8月、第1回世界大会が広島市で開かれた。いわば、国民性を帯びた大会だった。

 その歴史を受け継ぐ両大会は、海外の平和活動家や核被害者を招き、市民社会から核兵器廃絶などを発信する、今なお貴重な場であると思う。過去の原発の是非や旧ソ連の核実験の正当性をめぐり分裂したとはいえ、その開催意義が薄れることはない。

 ただ、核兵器の非人道性に国際的な関心が高まり、禁止条約の実現に向けた動きが強まる中、被爆国発の「世界大会」が存在感を発揮しているとは言い難い。危機感を持って、運動を進化させることを期待したい。(藤村潤平)

(2015年8月10日朝刊掲載)

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