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連載・特集

つなぐ~戦後70年 岩国の秘密基地 <上> 特攻 

錦川沿い 滑走路を急造 終戦間際 京都から部隊

 終戦直前の岩国市多田(旧藤河村)に、旧海軍の「秘密基地」があった。神風特別攻撃隊の基地として建設され、地元の少年少女も滑走路の整備作業などに駆り出された。70年前、この山あいで何があったのか。元特攻隊員や住民の証言でその姿が浮かび上がった。(増田咲子)

 特攻隊員が「藤河基地」と呼んだ秘密基地は、山陽自動車道岩国インターチェンジ(IC)近くの錦川沿いにあった。滑走路だった辺りには住宅などが立ち並ぶ。

練習機12機移動

 「7月19日木曜 基地移動飛行(峯山空―岩国空)」

 現在の京都府京丹後市に拠点を置いた峯山海軍航空隊。同隊の中尉だった鈴木富三郎さん(92)=京都市伏見区=の手元に残る「航空記録」に、こう記述されていた。

 1945年のこの日、「赤とんぼ」と呼ばれた複葉の93式中間練習機12機で、鈴木さんを隊長とする「神風特別攻撃隊飛神隊禮(れい)部隊」の15人が京都を飛び立った。

 藤河基地の上空に達した時、滑走路上に障害物があるのを見つけた。誤って1機が降り、ひっくり返ってしまった。その様子を見た地元住民は「敵に滑走路だと分からないようにするための擬装用の木にぶつかった」と記憶する。

 他の11機は急きょ、直線で約6キロ離れた、現在は米海兵隊岩国基地になっている岩国海軍航空隊の基地にいったん着陸した。藤河基地の受け入れ準備が整うのを待って、再び飛び立った。その後、鈴木さんたちは藤河基地で出撃命令を待つことになった。

 戦況が逼迫(ひっぱく)する中、爆弾を抱いた飛行機で敵艦船に突っ込む特攻作戦が中心となっていた。米軍との本土決戦に備え、海軍が「牧場」と称して特攻隊を分散配置するための秘密基地55カ所を整備する方針を決めたのは、沖縄で日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる直前の6月中旬。藤河のほか、安芸高田市八千代町など全国に急ごしらえされた。

夜間飛行重ねる

 鈴木さんが藤河基地に移ってきたのは22歳の時。「鉄砲を担ぐより飛行機に乗りたい」と43年、大阪外国語学校(現大阪大)を半年繰り上げて卒業し、海軍飛行予備学生になった。特攻の訓練が始まったのは45年3月からだった。

 航空記録には、赤い文字の「夜間飛行」が目立つようになる。「昼だと敵に見つかりやすい。赤とんぼに反撃能力はなく、見つかったら最後。夜でなければやられてしまう」。米軍の不意を突くための訓練を繰り返した。

 「4月26日 爆装訓練」「6月22日 総合教練 夜間飛行(擬襲攻撃)」。航空記録からは出撃に向けて訓練を重ね、秘密基地へ移動してきた様子がうかがえる。

(2015年8月12日朝刊掲載)

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