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連載・特集

民の70年 第1部 秘密と戦争 <5> なんだ空襲

爆弾・焼夷弾「怖くない」 都市からの退去禁じる

 「隣組でバケツリレーの訓練も積んでいたし、焼夷(しょうい)弾の火くらい消せると思い込んでいた」。1945年8月8日の福山空襲を体験した福山市の白石登代子さん(91)は証言する。

「来るなら早く」

 夫を戦地に送り出し、義母と2人暮らし。空襲に備え、戸外の共用水道でバケツに何杯も水をくみ、部屋に運ぶ日課が苦痛だった。「毎日毎日、面倒ななあ。(空襲が)来るなら早よう来ればいいのに」。近所の人と軽口さえたたいた。「空襲があんなにひどいとは思わなかったから」

 空襲は怖くない、逃げずに火を消せ―。国は41年の防空法改正で、都市からの退去禁止と消火義務を定めた。政府が同年編さんした小冊子「時局防空必携」は「爆弾、焼夷弾に中(あた)つて死傷する者は極めて少(すくな)い」「空襲の実害は決して恐れるに足りない」と強調した。

 山田耕筰作曲、広島市出身の大木惇夫作詞の歌謡「なんだ、空襲」(41年)も焼夷弾などの消火に国民を鼓舞した。「最初一秒ぬれむしろ かけてかぶせて砂で消す 見ろよ早技(はやわざ)どンなもンだ、もんだ」「なにがなんだ空襲が 負けてたまるか、どんとやるぞ」

 福山空襲の夜。白石さんは空襲警報で屋外に出た後、焼夷弾が仏具に当たった音に慌てて家に戻った。くみ置きの水で必死に火を消そうとしたが、あっという間に炎に包まれた。再び外に出ると、隣にいた男性が「やられたー」と叫んで息絶えた。背中に焼夷弾が刺さっていたという。この空襲で354人が犠牲になった。

思考停止の国家

 38~43年に中国・重慶を無差別爆撃した国は、空襲の威力を熟知していた。41年11月の国会審議で、防空法改正の狙いを問われた陸軍省軍務局長が本音を明かしている。「国民が狼狽(ろうばい)し、戦争継続の意志が破綻するのが最も恐ろしい」。その姿勢は広島、長崎への原爆投下後も変わらなかった。防空総本部は45年8月9日、「新型爆弾もさほど恐れることはない」「軍服程度の衣類を着用していれば、やけどの心配はない」と言い切った。

 「思考停止した国家のなれの果てだった」。憲法が専門の水島朝穂・早稲田大教授(62)は指摘する。広島大などで教えた80年代以降「国家は市民を守るか」という問題意識から防空法の制定過程や国民への影響も研究してきた。「危険を把握した専門家や政治家もいたが、精神主義に陥った上層部が黙殺した」

 たどった道は、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案の国会審議に重なってみえるという。憲法学者の大半が違憲と指摘する中、政府は「問題ない」と主張する。水島教授は問う。「政府は集団的自衛権で自衛隊のリスク増を否定するが、戦闘になれば逃げられない。『空襲は怖くない』と宣伝した戦前をでたらめと笑えるだろうか」(馬場洋太)=第1部おわり

(2015年8月13日朝刊掲載)

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