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[戦後70年 継承しまね] 反戦胸に松林監督七回忌 学徒出陣を経験 弟が法要 ファン集う場に 

 学徒出陣の経験者で5本の戦争映画を撮り、2009年8月に89歳で亡くなった江津市桜江町出身の映画監督、松林宗恵(しゅうえ)さんの七回忌が15日、同町鹿賀の福泉寺である。「兄が銀幕に残した悲痛な願いを思い、あらためていま生きていることに感謝する」。松林さんの弟で同寺の住職、文雄さん(90)は悲惨な歴史を振り返り、反戦への決意を新たにしている。(松本輝)

 松林監督は日本大芸術学部在学中の1942年、東宝に入社して映画を撮り始めた。44年、海軍兵科予備学生として学徒出陣し、中国南部・アモイでの戦闘を経験した。

 戦地で多くの仲間の死を目の当たりにしてきた松林監督。文雄さんに「天皇陛下万歳と言って死んでいくやつはいなかった。みんなお母さんと言って死んでいく。戦争を望んだ国民なんて本当はいなかったんだ」と話していたという。

 「戦争で死んだ人のためにもいい映画を作る」とも言っていた松林監督。終戦後、東宝に復帰し「人間魚雷回天」「連合艦隊」などの戦争映画を撮った。

 「人間魚雷回天」には「僕たちが死んでいくのは無謀な戦いを無謀なものと気付かせるためなんです」というせりふが登場する。松林監督の53作品のポスターや台本などを展示している「松林宗恵映画記念館」(同町坂本)の木村恒夫館長は「仏門の出である松林監督は、戦争映画にも仏教的な無常観を反映させていた」と話す。

 「映画を通じて、自分の経験した戦争のむなしさを伝えてきた。残された私たちは思いを受け継いでいかなければならない」と文雄さん。七回忌を親族以外の映画ファンも集える場にした。七回忌は15日午後2時から。福泉寺は桜江町鹿賀436。Tel0855(93)0144。

(2015年8月13日朝刊掲載)

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