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社説・コラム

社説 あす終戦の日 恒久平和の誓い 今こそ

 あすで終戦70年を迎える。

 かつて日本は無謀な戦争へと突き進み、焦土と化した。その教訓を胸に復興に取り組み、今の経済大国をつくり上げた。その中で不戦の誓いを一貫して掲げてきたのは誇るべきだろう。

 しかし国民の暮らしの先行きが見えない中で、その針路が揺らいでいる。先の大戦の国民の記憶が風化し、誰もが感じた悲惨さが忘れられつつあることとも関係していよう。

 今こそ日本が何をし、どんな結果に至ったのかを謙虚に振り返り、恒久平和をあらためて誓いたい。

悲劇見つめ直せ

 何より見つめ直すべきは日本の国策の誤りであり、それが数え切れない悲劇をもたらしたという重い事実であろう。

 旧満州(中国東北部)への移民が象徴的だ。大戦中に募集された満州開拓青年義勇隊として広島県から赴き、生き残った人たちがまとめた手記がある。広い土地がもらえ、十分な暮らしができる。そんな触れ込みで10代の若者たちが現地に渡ったが状況は一変する。関東軍の後方で軍事教練などを続けるうち飢えや病が広がる。「食べ物も少なく、飢えと病魔が襲う」「骨と皮になって…」。さらに終戦直前の旧ソ連軍の侵攻で多くが命を落としてしまう。

 満州における悲惨な状況は、義勇隊に限らない。農業を志した移民の多くは終戦前後の混乱のうちに家族がばらばらになり、今につながる「残留孤児」も生まれる。時に集団自決するケースもあったと聞く。

 忘れてはならないのは日本の移民政策で地元の人々の土地を奪い、相手からすれば侵略に当たることだ。満州で人生を狂わされた日本人は国家によって、その手先とされたことになる。

 そもそも1931年に関東軍が謀略を仕掛けて中国東北部を占領した満州事変と、日本のかいらい政権としての「満州国」の建国が、のちの戦争の引き金となったことは否定できまい。国際連盟脱退を経て国際社会から日本は孤立し、37年に日中全面戦争に突入する。そして米国から石油輸入が閉ざされた末に、41年の真珠湾攻撃に至る。

検証・反省なく

 国力で大きく勝る米国となぜ戦争したのか。資源の乏しい日本にとって大陸の権益が「生命線」だったのは確かだが、判断の誤りは明らかだ。しかも途中で検証も反省もせず、無為無策に近いまま戦線を拡大して国民の命をつぎ込んだ。

 「一億火の玉」といったスローガンで戦争を継続した末路が悲惨極まりない沖縄戦であり、広島・長崎を含む本土への攻撃である。先の戦争の犠牲は日本人が310万、アジア諸国において2千万人といわれる。

 あれから70年。再び同じ道を歩まないという誓いが薄らいできてはいないか。

 安全保障関連法案の審議で、安倍晋三首相は繰り返し述べている。「絶対に戦争に巻き込まれることはない」と。

 その根拠はどこまであるのだろうか。武力行使の歯止めや自衛隊員のリスクを国会で何度問われても、政府はあいまいな説明しかできない。つまり時の政府の裁量の幅が、あまりにも広いということではないか。これでは将来の政権が暴走し、拡大解釈していく可能性はどうしても排除できまい。

 かつて「国を守る」という名目で国民を戦地に駆り立てたことを思う。集団的自衛権行使の事例として挙げられたペルシャ湾の機雷処理のように、資源の確保がまたも大義名分とされるのも気になる。

「普通の国」疑問

 戦後日本の歩みに、あらためて思いをはせたい。戦後の占領時代を経て自衛隊こそ発足したが「軽武装」の道を取り、右肩上がりの成長に結びついてきた。日米安保体制の下にあるとはいえ、軍隊を持たず平和憲法を持つ国として国際的な信頼を勝ち得てきたのは間違いない。例えば中東において。

 そこに重きを置かずに「普通の国」へ前のめりになることが未来にわたる国益なのか。この節目にしっかり考えたい。

(2015年8月14日朝刊掲載)

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