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社説・コラム

『記者縦横』 70年 試されるヒロシマ

■報道部・田中美千子

 「70年は草木も生えぬ」ともいわれた広島を、どう立て直したのか。被爆70年の夏、復興の原点を知る人たちを取材した。白衣を血に染め、救護に奔走した看護学生、青空の下で児童と向き合った教員…。現場を知る当事者を捜し出すのには、時間を要した。関係者が亡くなっていたり、認知症を患っていたり。時の重みを痛感した。

 一方、原爆による惨禍が十分に知られていない現実にも直面した。今春、米国で取材した核拡散防止条約(NPT)再検討会議。軍縮をめぐる協議で一部の国は核への執着心をむき出しにした。なぜヒロシマの訴えが伝わらないのか。被爆者が語れる時間に限りがある中、焦りを覚える。

 そんな時、旧日本銀行広島支店(広島市中区)を訪ねた。原爆資料館が収蔵資料を出張展示中。その訴求力がすごい。例えば写真展示「廃虚に生きる」。救護所には人びとが横たわる。やけどを負った幼子。暗い瞳の男性。その顔に体にハエが群がる。別室に回ると被爆者が描いた絵。炎の中で助けを求める幼子の声、川面に漂う遺体…。人びとが消したくても消せない記憶が、見る者の胸を突く。

 目を背けたくなるかもしれない。それでも、多くの人に見てほしい。証言はもちろん、資料ともじっくり向き合いたい。想像力を働かせ、込められた思いをくみ取りたい。原爆被害の一端に触れられたなら、その人の言葉は誰かの胸に響くかもしれない。ヒロシマが試されるのは、これからだ。

(2015年8月14日朝刊掲載)

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