『記者縦横』 被爆者の言葉 残したい
15年8月14日
■松江支局・松島岳人
「私たち被爆2世が語り継いでいかないと、原爆の歴史がなかったことになってしまう」。7月下旬、島根県被爆二世の会が松江市の県民会館で開いた原爆展で、写真家吉田敬三さん(54)=東京都=に出会った。直接聞いた言葉に、はっとさせられた。
母親が長崎で被爆した吉田さん。かつて戦場カメラマンとしてアフガニスタンなどを渡り歩いた。「2世の自分も戦争と関わりがある」と考えるようになり、2003年から全国を巡って、2世の姿を撮影する。
職場で、慰霊碑の前で、そして自宅で…。さまざまな健康への不安を抱えながらも、明るく生きる2世の今を写真に収める。松江でも笑顔の52人を展示した。
作品が飾られた一角は、2世や被爆者が語らい、交流を深めるスペースになっていた。吉田さんは「風化が進むのは私たちの責任。自分自身が継承のキーパーソンだということを再認識した」と話してくれた。
2世の人たちの継承への真摯(しんし)な姿勢に頭が下がる。記者として何とかサポートしたいと強く思った。
私の2歳の長男は8月6日、広島市の平和記念式典の中継を見て、テレビの前で黙とうしていたという。人々の真剣な表情に、2歳なりに思うところがあったのだろう。
彼らが大きくなったとき、実際に被爆者から話を聞く機会があるだろうか。その世代が語り継いでいく被爆者の言葉を残さなければならない。子の父親としても、あらためて思う。
(2015年8月14日朝刊掲載)
「私たち被爆2世が語り継いでいかないと、原爆の歴史がなかったことになってしまう」。7月下旬、島根県被爆二世の会が松江市の県民会館で開いた原爆展で、写真家吉田敬三さん(54)=東京都=に出会った。直接聞いた言葉に、はっとさせられた。
母親が長崎で被爆した吉田さん。かつて戦場カメラマンとしてアフガニスタンなどを渡り歩いた。「2世の自分も戦争と関わりがある」と考えるようになり、2003年から全国を巡って、2世の姿を撮影する。
職場で、慰霊碑の前で、そして自宅で…。さまざまな健康への不安を抱えながらも、明るく生きる2世の今を写真に収める。松江でも笑顔の52人を展示した。
作品が飾られた一角は、2世や被爆者が語らい、交流を深めるスペースになっていた。吉田さんは「風化が進むのは私たちの責任。自分自身が継承のキーパーソンだということを再認識した」と話してくれた。
2世の人たちの継承への真摯(しんし)な姿勢に頭が下がる。記者として何とかサポートしたいと強く思った。
私の2歳の長男は8月6日、広島市の平和記念式典の中継を見て、テレビの前で黙とうしていたという。人々の真剣な表情に、2歳なりに思うところがあったのだろう。
彼らが大きくなったとき、実際に被爆者から話を聞く機会があるだろうか。その世代が語り継いでいく被爆者の言葉を残さなければならない。子の父親としても、あらためて思う。
(2015年8月14日朝刊掲載)