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[いくさの記憶] 戦死の父 家族思う便り はがき12通・手紙9通発見 江田島市能美の御堂岡さん 来月の市追悼式で紹介

 江田島市能美町の呉服店経営御堂岡勝敏さん(71)が、戦死した父が戦地からよこした便りを見つけた。家族に寄せる父の思いが実感できるとともに、夫を失った母がどんな気持ちで戦後を生きたか推し量れる内容。市遺族連合会の会長でもある御堂岡さんは9月、戦後70年の市戦没者追悼式のあいさつで父の便りを紹介、平和の大切さを呼び掛ける。(小笠原芳)

 旧陸軍衛生兵だった父勇さんは1937~44年、中国に2回、フィリピンに1回赴き、45年6月にフィリピンのルソン島で戦死。36歳だった。便りは中国とフィリピンからで、はがき12通と封筒に入れた手紙9通だった。

 「君にばかり種々心配かけて済まないと思ふ」。故郷で子どもを育てる妻トシ子さんへのいたわりやわびる言葉がつづってあった。別の便りでは「強い女になれ」と厳しい文面も。自身の死を覚悟、残った者は生き抜くよう求めている。

 トシ子さんは勇さんから預かった呉服店を守り、戦後は店主となって切り盛り。御堂岡さんと兄、姉の3人を育て上げた。2002年、最後に「ああ、よう頑張った」と自分を褒め息を引き取った。

 便りはトシ子さんのたんすに大切にしまってあった。戦争や勇さんの話は一切しなかった母について、御堂岡さんは「手紙を読み、家族と呉服店を守らなければと言い聞かせていたのだろう」と推測する。そして「父との約束を全うした生涯。納得して人生を終えたのだろう」と母の戦後に思いをはせる。

 追悼式は9月25日。遺族連合会の会員から便りに触れるよう要望があった。御堂岡さんは「家族を失っても生きていかなければならない悲しい時代があった。事実を伝えるため語りたい」と決めている。

(2015年8月14日朝刊掲載)

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