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被爆の記憶 克明に 台湾の陳さん、広島巡る

 日本の植民地だった台湾で生まれ、旧陸軍の水上特攻艇の乗員として被爆直後から広島市内で救援活動をした陳賜兵さん(84)=台北市=が4日、次男の律希さん(53)と広島市を訪れ66年前の自らの足跡をたどった。脳裏に焼き付いたあの日。「二度と繰り返してはならない」と力を込めた。

 陳さんは、高校の担任の勧めで旧陸軍船舶特別幹部候補生となり日本に渡った。原爆投下の数時間後、基地があった江田島から宇品港(南区)に上陸。約1週間、消火や遺体を焼く作業をした。

 この日、在外被爆者の支援者とともに桟橋があった宇品波止場公園(南区)や、元安川沿いにたどり着いた相生橋などを回った。

 おびただしい数の遺体を素手でつかみ、がれきで焼いた。電車内でつり革をつかんだままの黒こげの遺体、鼻を突く異臭…。「本当にむごかった。戦争はするものじゃない」

 律希さんは「父がこれほどの体験をしたとは初めて知った。自分なら耐えられない」と言葉を失った。陳さんは「どれだけ悲惨だったか、若い人に知ってほしい」と強調した。

 陳さんは今年5月、国に損害賠償を求める在外被爆者の集団訴訟に参加。5日の和解協議に合わせ、韓国の原爆被害者を救援する市民の会・広島支部(豊永恵三郎支部長)の招きで広島を訪れた。(金崎由美)

(2011年9月5日朝刊掲載)

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