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つなぐ~戦後70年 終戦前日…ことしもまぶたに

 1945年8月14日の岩国大空襲と旧光海軍工廠(こうしょう)(光市)の空襲から70年。米軍の爆撃により岩国大空襲では517人、光の空襲では動員学徒136人を含む748人が亡くなったとされる終戦前日の悲劇だった。犠牲者の冥福を祈り、不戦を誓う式典が14日、岩国市と山口市であった。

これで最後になるかも

岩国大空襲慰霊祭

 岩国大空襲の慰霊祭は、岩国市の麻里布町第三街区公園であった。遺族や住民たち約70人が参列した。

 空襲は昼前に始まったとされ、岩国駅周辺が被害を受けた。死者数は市史に517人とある一方、「実数は千人近い」との証言も残る。

 午前11時15分のサイレンに合わせて黙とうした後、主催する麻里布地区自治会連合会の森口勝征会長(71)が「二度とこのようなことが繰り返されないよう、平和への誓いを新たにしたい」とあいさつ。参列者は公園内の平和記念碑前に設けられた祭壇で焼香した。

 江見寿雄さん(84)=同市下=の姉は看護師で、駅近くの病院に薬を取りに行って亡くなった。「捕ってきたアユの煮付けを食べてから出掛けていたら助かっていたかもしれない。いまだに悔やまれる。戦争はあってはいけない」と振り返った。

 有海洋子さん(82)=東京都=の姉は、出張先から岩国に戻ってきて犠牲になった。「ことしが最後になるかもしれない、との思いで参列した。姉が生きていたらいい人生を送っていただろうに」と悼んだ。(増田咲子)

戦争に加担 友を失った

旧光海軍工廠空襲 山口2高追悼式

 兵器工場だった旧光海軍工廠に動員され、空襲の犠牲になった生徒の追悼式が、山口市の二つの高校で営まれた。

 前身の中村高等女学校の33人が亡くなった中村女子高(山口市駅通り)での式典には、犠牲者の同級生や遺族、在校生たち約60人が参列。「純真の碑」に向かって黙とうし、花を供えた。

 空襲を体験した岡本トシ子さん(85)=同市小郡下郷=は「どの防空壕(ごう)に入るかで同級生と生死が分かれた」と振り返った。姉を亡くした高木和文さん(81)=同市小郡山手上町=は「自分の意思と関係なく働かされ、命を奪った戦争が許せない。終戦から70年がたち、体験の風化が心配」と話した。

 同校3年笠本さくらさん(17)は「祖母の姉が犠牲になった。体験した人や遺族の『悲劇を忘れてほしくない』との願いを受け止めたい」と話していた。

 山口高(同市糸米)であった式典には、空襲の犠牲になった旧制山口中の16人の同級生や遺族、教員たち約35人が参列。「平和の母子像」前で当時の校歌などを歌った後、黙とうした。式典の運営はこれまで同級生が担ってきたが、高齢化したため今回から同窓会が引き継いだ。

 同級生を亡くした古跡(こせき)雅常さん(86)=同市若宮町=は涙ぐみながら、「世界情勢を知らず軍部の言う通りに戦争に加担し、友を失った。一人一人が世界を知る努力を怠ってはならないと伝えたい」と語気を強めた。(柳岡美緒)

(2015年8月15日朝刊掲載)

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