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社説・コラム

社説 終戦70年 「深い反省」胸に刻もう

 終戦から70年の大きな節目が過ぎた。あの戦争とは何だったのかを問い、二度と繰り返さないための教訓を考える。その営みに終わりはないことを私たちはあらためて肝に銘じたい。

 その意味でも天皇陛下のお言葉は重い。きのうの全国戦没者追悼式で、初めて「さきの大戦に対する深い反省」という文言を盛り込んだ。

 陛下は昨年から戦後70年の節目に向けた「慰霊の旅」を続けてきた。被爆地の広島や長崎を巡り、沖縄にも足を運び、今なお残る傷痕に触れてきた。ことし4月には、太平洋戦争の激戦地パラオ・ペリリュー島を訪れ、青い海が背後に広がる慰霊碑の前で深々と拝礼した。

 そうした行動の積み重ねの先の「反省」には格別の思いが込められているのだろう。日本の戦没者や遺族はもちろん、アジアも含め、あの戦争で犠牲になったすべての人に向けられたものではなかったか。

 それに比べて安倍晋三首相の式辞は物足りない。首相に返り咲いて以来、3年連続でアジアへの加害と反省について言及しなかった。「不戦の誓い」という言葉も口にしなかった。どうしても違和感が拭えない。

 首相からすれば追悼式の前日に発表した談話で事足れりとしているのかもしれない。ただ、この談話でもアジアの国々への「侵略」や「おわび」についての文脈は主述が曖昧だった。誰がどこを侵略し、誰に謝罪するのかもはっきりしない。

 式辞においては、こうした問題を避けたように見える。これでは中国や韓国の人々を納得させることはできまい。

 確かに両国政府は、安倍談話に対して強い抗議などを控え、抑制して対応しているように思える。しかしメディアの側は、直接的なおわびを避けたとして猛反発している。きのう靖国神社に閣僚3人が参拝し、首相が玉串料を私費で奉納したことも批判を招いていよう。

 韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は、日本からの解放70年を祝う光復節の演説で「歴史認識継承を公言したことを誠意ある行動で示すべきだ」と求めた。日本政府は向き合うべきだろう。

 節目の首相のメッセージが関係改善に向けたアクセルとはならず、むしろブレーキになりかねないことを、政府は自覚しなければならない。

 首相は中国が9月に開く抗日戦争勝利の記念式典に合わせた訪中を検討するほか、4年近く開かれていない日韓首脳会談の実現に意欲を示す。そのためにも行動することが必要である。

 過去の侵略や植民地支配の歴史に向き合うことに区切りはない。70年の節目までに解消できなかった隣国との見解のずれを直視し、歴史認識を共有していく試みを始めるべきだ。

 70年談話をめぐる有識者懇談会の報告書にあるように、世界各国の研究者がアジア史について共同研究する場を設けてはどうか。南京大虐殺や従軍慰安婦、徴用工などの問題についても互いに納得できるまで事実の検証を続けてもらいたい。

 さらには日本のために被害を受けた人たちに対する戦後補償の問題の解決に向けても、民間も交えて知恵を絞りたい。

 こうした努力があってこそ、真の反省の思いが相手に伝わるのではないだろうか。

(2015年8月16日朝刊掲載)

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