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社説・コラム

『書評』 原爆体験と戦後日本 直野章子著 記憶紡ぐ「同伴者」に光

 原爆投下から70年。「被爆者の声を受け継ごう」とテレビは盛んに呼び掛ける。それは、間違っていないが簡単ではない。この本は長年、被爆者の手記や証言、絵画を丹念に読み解いた著者の覚悟の書である。

 生き延びた人たちが体験を語ることは決して当たり前ではなかった。「死んだ方がよかった」。「遭(お)うたもんでないと分からん」。被爆者は生き残ったことを負い目に感じ、他者の接近を拒絶することもあった。しかし、救いがないような語りも、実は誰かに言葉を届けたいという気持ちの表れだ、と著者は考える。

 さらに、原爆体験は被爆者だけの所有物ではない、共同作業の果実なのだ、と考える。体験を核兵器廃絶に向けての信念に高めることができたのは、被害の実相を掘り起こし、捉え直し、世の中に位置づけようとした「同伴者」の存在なくしてはあり得なかった。

 著者の真骨頂は、被爆者の絵や語りの分析だ。生き残った者は、実際にはその場になかった毛布を裸の負傷者に掛ける絵を描く。リリアンのついた革の赤い財布を、亡くなった少女が持っていたことを思い出す…。そうした行為は、死者の尊厳が取り戻される行為であり、生者が生きていくために必要なものだった。

 著者の母の父は原爆で亡くなった。私もまた、広島の被爆2世だ。本書は、被爆2世が抱える、いわく言い難い心の琴線にも触れている。著者は言う。私たちが被爆者自身になって体験を共有することはできない。それは2世においても同じこと。体験しなければ分からないことはやはりある。被爆者と非被爆者との境界が揺らいだからといって、境界がなくなることはない。だからこそ、記憶を形成し継承するための「同伴者」が大切なのだ。

 福島原発事故以降、被爆者に再び光が当たり、安保関連法案の国会審議をめぐって世代を超えて平和を求める活動が活発になった。戦争に踏み出し、新たな被爆者が生み出されることがないように、今こそ読まれるべき本だと思う。(永田浩三・ジャーナリスト、武蔵大教授)

岩波書店・3456円

(2015年8月16日朝刊掲載)

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