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彫刻家・上田直次に光 孫が年末に初作品集 銅像多数が兵器と消えた… 呉市川尻出身

東京の孫 資料集め

 大正から昭和にかけて活躍した呉市川尻町出身の彫刻家上田直次(1880~1953年)の初の作品集が、年末に出版される。制作した銅像の多くは太平洋戦争中の金属供出で姿を消し、功績は埋もれていた。東京在住の孫が「祖父のことを後世に伝えたい」と資料を集め、戦後70年の節目の年に光を当てる。(藤村潤平)

 上田直次は、宮大工の家に生まれ、1907年ごろ上京。30年の帝展(現在の日展)で木彫「山羊(やぎ)の親子」が特選になった。動物や仏像を得意とした一方で、歴史的人物の銅像も多く制作した。比治山(広島市南区)にあった広島県初の首相加藤友三郎や大蔵大臣などを務めた早速(はやみ)整爾の銅像、二河公園(呉市)にあった実業家沢原為綱(ためもと)の銅像は、いずれも今は台座だけが残っている。

 孫の塚田弘子さん(71)=東京都墨田区=は4年前、旅行で広島県内に残る台座などを巡ったのをきっかけに、資料の収集を始めた。書簡などを基に全国の美術館や個人を訪ね歩き、作品自体や写真の形で残っているものを含めて約70点を把握した。

 当初は成果を自費出版する予定だったが、全集などを手掛ける国書刊行会(東京)が興味を示して市販を提案。年末をめどに作品集として世に出ることになった。塚田さんは「精魂込めた作品が戦争で兵器に変えられ、祖父はどんなに無念だったかと思う。平和な時代に生きる孫として、役目を少しは果たせたかなと思う」と喜ぶ。

 地元からも歓迎の声が上がる。加藤友三郎の銅像の再建立に尽力した郷土史家の田辺良平さん(80)=広島市東区=は「戦前を代表する広島出身の文化人。戦争は、素晴らしい芸術も無にする。あらためて功績をかみしめたい」と出版を待ち望む。

(2015年8月18日朝刊掲載)

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